現代社会に厄年を当てはめると、いささか軽い風習になりますが歴史だけは長く、すでに平安時代には厄年に関する記述があります。
平安時代末期の古辞書「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」には厄年の歳が表記されており、すでに貴族の間では厄年が常識として広まっていたことが分かります。
平安時代に厄年が広まった、と考えると、やはり中国からの伝来なのでは?と思いつくのは至極最もなことですが、中国の厄年は自分の生まれた干支が厄年となるので12年に1回、つまり日本の厄年とは異なっているので厄年は日本独自の風習であることが推察できますね。
そこで厄年の起源として有力視されているのが陰陽道です。
陰陽道とは自然界の万物は陰と陽の二気から生じ、万物は木・火・土・金・水の五行から成るとする思想で、これらを組み合わせることによって世の中や個人の吉兆や災厄を占う実用的技術とされています。
この思想は確かに中国で生まれたものですが、中国では占いの実用的技術が風水まで拡大され、陰陽道はそのうちのひとつとして吸収されています。
厄年が中国と異なるのは、中国から伝来はしてきたけれど伝来後に陰陽道が吸収されてしまったため、陰陽道だけが日本で独り歩きした結果といえます。