バブルの足音が聞こえるはずですが、アメリカズ・カップで寄り道しています。
さて、アメリカズ・カップを賭けたクラブ同士のヨットレースですが、先を急ぐと、とにかくアメリカが圧倒的に強く、各国の挑戦を退ける時代が長く続きました。
挑戦者の中には紅茶王のサー・トーマス・リプトン(30年の間に4回挑戦、いずれも敗退)、やフランスのボールペンを最初に作ったビックなどがいました。
この頃までは金持ちの道楽的ヨットレースでしたが、1983年、オーストラリアの実業家アラン・ボンド率いるオーストラリアⅡが初めてアメリカを打ち破ります。
アメリカズ・カップが南半球を渡ったことで、それまで金持ちの道楽的ヨットレースは富裕層を抱える先進国から一気に注目されます。
なにしろアメリカズ・カップを持ち帰ったのがオーストラリアですから組み易し、戦いやすい相手と見られたのでしょう。
逝ってみれば戦国時代。
当然、日本も目をつけたわけですね。
ただし、アメリカが長きに渡ってカップを維持していたことにも、オーストラリアがカップを奪取したことにも理由があります。
アメリカはNASAを始めとして民間企業がヨット制作に参加、アラン・ボンドはヨットのキール(船底の翼みたいなもの)に斬新なデザインを取り入れました(ちなみにアラン・ボンド、絶対秘密のキール部分を喜びの余りマスコミに公開してしまいました。これが後、オーストラリア敗退の理由となります)。
たかがクラブ同士のヨットレースですが、実体は国家の最先端技術とそれに伴う膨大な予算がなければ勝つことは不可能となっていたのが、アメリカズ・カップなのです。
バブル景気の時に日本が参加を決めた理由、分かってきたでしょう?
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