バブル景気崩壊後、伝統あるアメリカズ・カップに挑戦した日本。
なにしろ日本、国土をぐるりと海が囲んでいる海洋国でありながら、海は漁師さんたちの物ですからちっともマリンレジャーが盛んになりません。
バブル景気になると富の象徴が車なんかではなくクルーザーになってきたものだから、マリンレジャーへ一気に熱い視線が向けられた、なんて背景も手伝い、いきなり世界最高峰のヨットレースに挑戦しよう、などという機運が高まったわけです。
世界最高峰だの伝統だの、といってもアメリカズ・カップのこと知らなければどれくらいの重みを持つヨットレースなのか分かりませんよね。
そこで少しアメリカズ・カップの紹介。
始まったのは1851年。
つまり近代オリンピックより45年、ゴルフの全英オープンより9年、サッカーのワールドカップよりも79年早く始まった世界最古のトロフィースポーツということになります。
といっても、最初はイギリスのロンドンで行われた第一回万国博覧会の記念行事、つまり余興みたいなものですね。
イギリスのヨットクラブ、ロイヤル・ヨット・スクォードロンが主催となったワイト島一周レースがきっかけで、この時にはアメリカズ・カップの名称なんてどこにもありません。
しかもワイト島一周レースはただの余興ですから規格なんてものはありません。
大きさもそれぞれ違うヨットの中に、唯一、当時の新興国アメリカから招聘したアメリカ号がありました。
招聘は海洋王国であり、大英帝国の余裕みたいなものです。
で、その結果は、というと…。
次でアメリカズ・カップの紹介、終わらせますからね?
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