「夜空の占星術」カテゴリーアーカイブ

夜空の占星術!魚座の神話

黄道12星座、最後は魚座、双魚宮の神話です。

日本の星座名は単体ですが、サイン名は対になっていることに注目ですね。

ギリシャ神話における美の象徴といえばアフロディーテ。

愛の象徴といえばエロス。

エロスは本来、カオスやガイアなどと同じ原始の神でしたが、その後、アフロディーテの息子として登場するようになりました。

アフロディーテとエロス、とても仲が良く手をつなぐほどで、神々が集まった大宴会の時に怪物デュポンが表れた時も手をつないだまま逃げようとしました。

デュポンから逃げ惑う際、神々は動物に化けますが(磨羯宮のアイギパーンはこの時、パニクって下半身しか魚に化けられず、後に失笑を買っています)、アフロディーテとエロスは魚に化け、川に逃げようとします。 続きを読む 夜空の占星術!魚座の神話

夜空の占星術!星は誘えど、強制せず

惑星の運動を法則化した17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラーは「この愚かな娘、占星術は一般からは評判のよくない仕事に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」と言いました。

当時、ケプラーは天文学者、数学者であると同時に占星術師でもあったのです。

ケプラー自身は占星術を信じておらず、富裕層を満足させるために数学と天文学を駆使して占星術を行い、そこで得た利益で天文学を支えていたわけですね。

すでに17世紀では占星術が科学から分離している証でもありますが、それでも西洋では占星術が浸透しており、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンのファーストレディであるナンシー夫人は占星術師ジョーン・キグリーを顧問として大統領の日程にまで関与した有名な話もあるほどです。 続きを読む 夜空の占星術!星は誘えど、強制せず

占星術を単純化した星占いが一般市民に浸透

毎朝のTVバラエティ番組だとか、週刊誌の巻末に掲載されている星占いに耳を傾けたり目を通している人は多いでしょう。

乙女座の今日の運勢はこれまでの人生の中で最悪だから1日中家の中に閉じこもっても災いが起きる、とか、魚座の今日のラッキーカラーはエメラルドグリーンとパッションレッドとスモーキーブラウンを組み合わせればバッチリ!なんて書かれている、アレですね(こんな面倒な星占いは滅多にありませんが)。

コレ、始まりは意外と最近のことで、1936年にイギリスの新聞「ロンドン・サンデー・エクスプレス」に掲載されたことから人気を博し、一気に広まりました。 続きを読む 占星術を単純化した星占いが一般市民に浸透

人類史上の初期に占いが生まれる

古代、さまざまな占いが世界各地で生まれました。

中国では八卦が生まれ、風水に発展し、日本に渡来してからは陰陽道に変化、戸籍が制度化されば名前による運勢占いが始まり、なぜか日本では4種類しかない血液型で性格から行動体系まで決めつけるような占いもあります。

手相や面相はインドが起源で、アフリカに行けば動物の骨を頭上に放り投げ、落ちた形から運勢を占うシャーマンの地位が高く、ネイティブアメリカンの呪術師は万物の精霊が導く声を聞くことができます。

これらの初期の占い、個人のラッキーカラーや恋人に出会える確率を予言するものではなく、もっと大切なこと。 続きを読む 人類史上の初期に占いが生まれる

古代バビロニアで発見された天文観測の粘土板

占星術が最初に始まったといわれる場所が古代バビロニア。

といっても、どこにあったか分かりませんよね。

カンタンに言うと現在のイラクの一部です。

チグリス川とユーフラテス川の間にあり、これらの川が運んでくる堆積物によって肥沃な土地であったことが国家形成に大きな役割を果たしました。

お分かりのように世界四大文明の中で、もっとも起源が古いといわれているメソポタミア文明発祥の地ですね。 続きを読む 古代バビロニアで発見された天文観測の粘土板

古代バビロニアの粘度板にはすでに占星術が描かれていた

古代バビロニアで見つかった粘土板にはすでに天文観察の記述がありました。

もっとも7,000枚のうちの70枚ですから、天文観察による占星術が主というわけではなく、森羅万象すべてが予兆(オーメン)を表していて、その中には自然現象や動物たちの集団行動観察なども含まれています。

とはいえ、現在の星座の基本となる黄道(空を球体と見た時の太陽の通る道筋)を発見、さらに黄道から星々の位置を定めて18区分、星々の動きから占星術を行っていたのは当時の文化の高さを示すものです。

この古代バビロニアで成形された18区分が後の12星座につながり、ホロスコープの基礎的役割を果たしたとされています。 続きを読む 古代バビロニアの粘度板にはすでに占星術が描かれていた

キリスト教から異端扱いされた占星術

ローマ帝国で占星術は開花、支配下にあったアレクサンドリアでは地質学者であり、天文学者であったクラウディウス・プトレマイオスの「テトラビブロス」や詩人のマニリウスが書いた「アストロノミカ」など、占星術の基礎となる有名な書物も輩出されています。

民衆の支持まで得て、このまま安定して広まっていくかと思われた占星術、じつはヨーロッパで衰退の一途を辿ります。

その要因となったのがキリスト教。

ローマ帝国がキリスト教を公認宗教に定めるとキリスト教は権力を強化、聖アウグスティヌスによる占星術に対する攻撃が始まります。 続きを読む キリスト教から異端扱いされた占星術

インドに渡った占星術

キリスト教支配下の地域では姿を消していく占星術も、それ以外の宗教支配下の場所ではギリシャから流出した天文観測を取り入れて独自の進化を遂げていきます。

たとえばインド。インドにはギリシャ伝来以前より独自の占星術、ナクシャトラがありました。

これはギリシャが太陽の黄道を占星術の中心にしていることに対し、月の動き、すなわち白道を中心に考えていることが特徴です。

ただし、このナクシャトラに関する記述はほとんど残っておらず、口述伝承であったことが想像されますが、2世紀頃、インドにギリシャ占星術が渡来してナクシャトラと融合したことが西暦269年の「ヤヴァナジャーダカ」という文献に書かれています。 続きを読む インドに渡った占星術

中国に渡った占星術

ギリシャ占星術は中国にも渡来しています。

中国にもインド同様、独自の天文観測による占星術はありましたが、星の動きではなく日食や流星、新星の誕生など星々の現象を天が与える警告、儒教の災異説が元になっているものでした。

この災異説とは別に、約2000年前に誕生した六壬神課(りくじんしんか)はギリシャ占星術とインド占星術の影響を受けて確立された占星術といわれています。

天体を干支術の12支に割り当てていること、太陽の黄道上の位置の指標を月将と呼んでいること、天地盤と呼ばれるホロスコープに似た器具を使うことなどからも、その影響を推し量ることができますね。 続きを読む 中国に渡った占星術

西洋占星術の礎となったアラブ圏の占星術

キリスト教は十字軍の派遣でも分かるようにアラブの地域までは勢力が及びませんでした。

したがってギリシャ占星術はインドだけでなく中東のイスラム圏にも流入、8世紀頃から独自の文化を取り入れて発展していきます。

イスラム圏の占星術で特筆すべき人物はペルシャ人のアルブマサルこと、アブー・マーシャルです。

アリストテレスやプラトンといったギリシャの哲学者の知識を豊富に持つ当時の占星術第一人者といわれたアル・キンディに師事、マーシャルもギリシャ哲学を学び、アリストテレスの「自然学」や「天体論」を占星術と融合させたことが偉業として伝えられています。 続きを読む 西洋占星術の礎となったアラブ圏の占星術

12世紀ルネッサンスで脚光を浴びる占星術

一度はヨーロッパから姿を消した占星術が再び脚光を浴びるのは12世紀に入ってから。

14世紀に始まったルネッサンスは主にギリシャやローマ時代の文化を復興しようという運動ですが、その胎動はすでに12世紀に始まっており、占星術はそのひとつでした。

ルネッサンスには「再生」や「復活」という意味があり、14世紀のイタリアで起きた大々的なルネッサンスと区別する意味で、12世紀に始まった古典・古代復興を「12世紀ルネッサンス」と呼びます。

ルネッサンスが活動として盛んになった背景には、キリスト教の1000年に渡る支配下によってギリシャ・ローマ文化が破壊され、その後、文化的な成長がまったく見られない暗黒の時代が築かれたことがあります。 続きを読む 12世紀ルネッサンスで脚光を浴びる占星術

限定付きで占星術を容認したキリスト教

12世紀に入ってルネッサンス活動から再び脚光を浴びた占星術は、この時代においてもまたキリスト教から否定されましたが、時代はすでにキリスト教がヨーロッパを支配下に。

少なくともヨーロッパにおいては異端宗教がキリスト教を脅かすことがないため、2世紀に占星術を排除したような表だった活動は行われませんでした。

キリスト教から見れば、キリスト教の脅威とならない限り占星術は害のない存在であり、当時の占星術は天文観察という側面を持つアカデミックな要素もあったことからキリスト教徒の中には占星術の「一部」は認めるという人も表れてきます。 続きを読む 限定付きで占星術を容認したキリスト教