「陰陽五行説」カテゴリーアーカイブ

食養に陰陽を取り入れたのがマクロビオティック

陰陽思想を健康的な日本人の食生活のために取り入れたのが食養療法、いわゆるマクロビオティックです。

マクロとビオテックの合成語で、健康による長寿といった意味があり、これが使われたのは意外に古く18世紀にドイツの医師、クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが最初の考案者と言われています。

日本では明治時代の医師、石塚左玄が最初に玄米を中心とした食事の調和による健康法を提唱、陸軍兵士の病気を食事療法によって治したことから食養が広まり、その後、桜沢如一が陰陽思想を食養に取り入れたことにより、日本発のマクロビオティックが完成しました。 続きを読む 食養に陰陽を取り入れたのがマクロビオティック

陰陽の組みわせ5パターンの内容

陰陽思想は森羅万象を二元化し、万物の生成消滅の変化は陰陽によって起こるという考え方です。

したがって万物は陰と陽、どちらか一方で成立しているのではなく、必ず両方が存在し、その量や変化が生成消滅につながっているわけですね。

その量や変化は5パターンあります。

○陰陽互根:陰があれば陽、陽があれば陰があるというバランスが取れた状態。

○陰陽制約:陰陽互いがバランスを取ろうという作用。陰がなくなれば陽もなくなり、陽がなくなれば陰もなくなる状態。別名は提携律。 続きを読む 陰陽の組みわせ5パターンの内容

現代の最先端に通ずる八卦の組み合わせ

陰陽思想は森羅万象の生成消滅に関する考え方ですが、これを占術に使ったのが八卦。

八卦は爻(こう)と呼ばれる「ー」と「- -」という2つの記号で構成されており、これを上下3本組み合わせたものが三爻、すべてを組み合わせると8種類になることから八卦と呼ばれています。

八卦占いを見ていると、箸のような棒には2つの記号、長い横棒の陽爻、短くて間のある横棒の陰爻が描かれています。

これをジャラジャラとかき混ぜて、出てきた棒の記号の組み合わせで事象を予測するわけですね。 続きを読む 現代の最先端に通ずる八卦の組み合わせ

戦国時代の陰陽家によって生まれた五行思想

陰陽思想の始まりは、混沌の中から光が生まれ、天が形成されて陽となり、暗闇が降りて大地を形成、陰となりました。

この二元化で森羅万象の形成消滅と循環を考えるのが陰陽思想の基本。

しかし世の中、光と闇、天と地だけでなく他のものでも形成消滅と循環が起きると考えたのが五行思想。

天と地以外の基本的要素、エレメントは木、火、土、金、水の5つ。 続きを読む 戦国時代の陰陽家によって生まれた五行思想

混沌から生まれた天と地の次に五行が発生

五行思想は陰陽思想の成立が前提となっており、二元的要素をさらに細分化した考え方です。

最初に混沌から天と地、陰陽が対極化した後の世界観ですね。

その順序は以下のようになります。

1.混沌から天と地の陰陽が誕生した後、陰の中でとくに冷たい部分が北に移動して水行が生じた。

2.次いで陽の中でとくに熱い部分が南に移動して火行が生じた。 続きを読む 混沌から生まれた天と地の次に五行が発生

世界中で同時多発的に生まれた五芒星

五芒星は美しい図形とされる黄金比を含んでいることが特徴です。

世界中を見ると、五芒星を使ったのは五行思想が最初というわけではなく、すでに紀元前3000年頃のメソポタミア書物にはUB(ウブ)という名称で使われていました。

古代バビロニアでは形成される三角形のそれぞれの頂点に木星、水星、土星、火星、そして地母神イシュタルの現れとされた金星を対応させ、古代エジプトでは五芒星を逆さまにすることで女性の子宮を表しました。 続きを読む 世界中で同時多発的に生まれた五芒星

五芒星の時計回りは順に生み出していく関係

幼児が一筆書きで最初に覚えるのが五芒星(英語ではペンタグラム)であるのも興味深い点ですね。

この五芒星、時計回りに隣り合っている同士が陽の相生(そうせい)、直線で結ばれている同士が陰の相剋(そうこく)となります。

相生とは時計回りの順でお互いを生み出していく関係です。

1.頂点にある木は火によって燃えることを木生火(もくしょうか)という。

2.物が燃えれば灰になり、灰が土に還ることを火生土(かしょうど)という。 続きを読む 五芒星の時計回りは順に生み出していく関係

陰陽思想が五行思想の中に活かされている

五芒星の直線で結ばれている要素はお互いを滅ぼす院の関係、相剋と呼ばれます。

1.木が土に根を張って土の養分を吸い上げ痩せさせることを木剋土(もっこくど)という。

2.土が水を吸い取って汚し、水の増水を塞き止めることを土剋水(どこくすい)という。

3.水が火を消すことを水剋火(すいこくか)という。

4.火が金属を溶かすことを火剋金(かこくごん)という。 続きを読む 陰陽思想が五行思想の中に活かされている

十干を訓読みにしてみると?

五行思想は混沌の中から天と地が生まれ、そこから五行が派生したことから分かるように根本は陰陽思想。

この2つの思想体系が1つになるのは自然な結果ともいえます。

五行思想は五芒星の頂点に木を置き、時計回りで火、土、金、水の順になります。

この五行に陰陽を当てはめたのが陰陽五行思想。

木は甲(こう)と乙(おつ)、火は丙(へい)と丁(てい)、土は戊(ぼ)と己(き)、金は庚(こう)と辛(しん)、そして水は壬(じん)と癸(き)になります。 続きを読む 十干を訓読みにしてみると?

なぜ干支に生肖が与えられたのか未だ不明のまま

年賀状に描くその年の干支動物とか、自分が生まれた年の干支動物だとか、いわゆる日本で言われるところの「干支」、じつはその発祥、陰陽思想とも五行思想とも関係がありません。

12の動物が当てはめられた十二支は古代中国における天文学、十二辰が元になっています。

木星は約12年で天球を1周することがわかったため、天球を天の赤道帯に沿って東から西へ12等分したことを十二辰と呼び、太陽や月、惑星などの位置や進行状態の座標に用いられたと同時に、年月の基準として使われました。 続きを読む なぜ干支に生肖が与えられたのか未だ不明のまま

自分の生まれた干支は60年に一度だけ

この天文学の十二支と陰陽五行思想の十干が組み合わさったのが十干十二支、本来の意味の「干支」です。

十二支に十干を組み合わせた記述はすでに殷の時代に見られ、戦国時代以降は年月日や時刻、方位にまで応用されています。

この干支を使って式盤で占うのが陰陽道や風水。

なにしろ陰陽に五行、さらに十二支を配して占うのですからその方法はとても複雑で、玄関口に金のお着物を置け、とか、水周りは鬼門に配置しろ、などと通り一辺倒な簡単なものではありません。 続きを読む 自分の生まれた干支は60年に一度だけ

干支のトリビア

時刻を表す時、正午を境に午前と午後に分けていますが、これもじつは十干十二支が元になっています。

干支では現在の23時から翌1時までを子の刻と記し、時計回りの順に丑の刻、寅の刻と続き、11時から13時までを午の刻としました。

つまり昼の頃が午の刻なので、それ以前の時刻が午前、それ以後の時刻が午後になったのです。

家を建てる時、北東にキッチンやトイレ、玄関や門などを作るのは厳禁とされています。 続きを読む 干支のトリビア