「アーサー王伝説」カテゴリーアーカイブ

アメリカでエクスカリバーを体現すると

アメリカのラスベガスといえば街中すべてが大人の遊園地化している統合型リゾートの代表格。

マカオやシンガポールなどが模倣から追従に変わってきている現象も見られており、日本もなんだか、統合型リゾートのカジノが本格的に動き出しそうな気配を見せています。

大人の遊園地なんぞ千葉だけで十分なのに、本当に横浜まで名乗りを上げるんでしょうか。

横浜がこれ以上、壊れた街になるのはとても心配ですが、そのラスベガスでまたもやとんでもないネーミングのホテルを見つけてしまいました。 続きを読む アメリカでエクスカリバーを体現すると

ケルト系民族の英雄

アーサー王はケルト系民族(ブリトン人とかガリア人とか、いろいろな総称を持ちますが、民族的な話は別の機会に置くとして、このコラムではケルト系民族で統一します)の間で語り続けられた英雄です。

ブリテン島に住んでいたケルト系民族はヨーロッパ本土から侵攻してきたサクソン人(アングロサクソン系の民族ですね)にやがて征服され、同化させられてしまいますが、一時、抵抗を示していた時期があります。

その抵抗を指示していたのがアーサー王。 続きを読む ケルト系民族の英雄

アーサーは王ではなく軍事指揮官

アーサー王伝説には、ギリシャ神話における「オデュッセイア」や「神統記」、日本神話における「古事記」や「日本書紀」、北欧神話における「エッダ」のような主軸となる正史がありません。

正史はありませんが出典はあります。

アーサー王を記述した最古の資料として有名なのが「ブリトン人の歴史」で、著者は一応、ブリトン人のネンニウスという人物ですが、現在、ネンニウスなる人物が書き上げたという説が疑わしくなっており、作者不明として扱われることも多い歴史書です。 続きを読む アーサーは王ではなく軍事指揮官

「ブリタニア列王史」に登場するアーサー王

アーサー王が初めて登場する「ブリトン人の歴史」では、アーサーは王ではなく軍師であり類稀な能力を持った兵士でしたが、アーサーが王になったのは「ブリトン人の歴史」からおよそ300年後、1136年頃に書かれた「ブリタニア列王史」からです。

著者はジェフリー・オブ・モンマスというキリスト教聖職者で、モンマスはウェールズ地方にある街の名前、つまりモンマス町のジェフリーさん、ということですね。

「ブリタニア列王史」は簡単に言うとブリテン島の王となった人物を列挙した歴史書です。 続きを読む 「ブリタニア列王史」に登場するアーサー王

ペンドラゴン王の息子、アーサー誕生

ジェフリー・オブ・モンマス著の「ブリタニア列王史」に描かれているアーサー王の記述を簡単にまとめると以下のようになります。

ブリテン島の王、ウーサー・ペンドラゴンはコーンウォール地方を治めていたゴルロイス公の妃、美貌の持ち主であるイグレーヌに横恋慕をしてしまいますが、夫のゴルロイス公、妻を取られちゃたまらない、とばかりにイグレーヌと共にコーンウォール地方へこもってしまいます。

これに怒ったのがペンドラゴン王、なんと軍を率いてゴルロイス公が立てこもる城へ突撃しますが、ゴルロイス公も意地になってイグレーヌを難攻不落の砦といわれるティンタゴルへ隠してしまいます。 続きを読む ペンドラゴン王の息子、アーサー誕生

ローマ帝国まで侵攻するアーサー王

ペンドラゴンの後を継いで王となったアーサーは魔法使いマーリンの手を借り、魔剣カリバーン(エクスカリバーではないのですが、同一視する見解もあります)を操ってサクソン人と戦います。

その戦の数、12回。

アーサー王はサクソン人を撤退させ、ブリテン島に平和をもたらせた英雄となり、ローマ帝国の中でも美貌の持ち主と言われた貴族の娘グィネヴィアと結婚します(父親のペンドラゴンといい、アーサー王といい、親子揃ってメンクイだったようですね)。 続きを読む ローマ帝国まで侵攻するアーサー王

創作だった歴史書の「ブリタニア列王史」

妻グィネヴィアを妃として娶り、自分がいない間に王へ治まったモルドレッドに対して怒り心頭、怒髪天を突く勢いのアーサー王は残存勢力を引き連れてブリテン島に引き返します。

もちろんモルドレッドにしてもそれは想定内。

かつてアーサー王が僻地に追いやったピクト人やスコット人を傭兵に雇い、迎え討ちます。

戦いは凄惨を極めましたが、やがてアーサー王はモルドレッドをカンブラン河畔まで追い詰め、ついに倒すことに成功しますが自らも瀕死の重症を追ってしまいます。 続きを読む 創作だった歴史書の「ブリタニア列王史」

「ブリタニア列王史」が描かれた時代

ジェフリー・オブ・モンマスは「ブリタニア列王史」において、全12巻のうち、9巻から11巻途中までアーサー王を描いています。

列王の数は数えるのが面倒なほどいるのに、アーサー王でこれだけのページを割いてしまえば他の王なんて記述することができません。

言ってみればアーサー王を盛りたてる脇役みたいなものです。

実際、「ブリタニア列王史」はアーサー王に関する記述だけが抽出され、その他の部分に関しては注目もされていません。

なぜアーサー王だけが、これだけ後世に残るまで抽出されたのか? 続きを読む 「ブリタニア列王史」が描かれた時代

ブリテン島を狙うノルマンディー公国

サクソン人の侵攻が激しくなるとローマ帝国軍はローマの衰退もあってブリテン島から撤退してしまいます。

そこで残されたケルト系民族(ブリトン人)はサクソン人と戦うわけで、ここに「ブリトン人の歴史」で記述されていたようにアーサーが獅子奮迅の戦いをするわけですが、結局はサクソン人がブリテン島を支配、今度はサクソン人同士が覇権を巡って戦いを行います。

それが七王国の時代。 続きを読む ブリテン島を狙うノルマンディー公国

最後のサクソン人の王エドワード

時のノルマンディー公ギョームはエドワード王の遠い親戚に当たり、エドワード王より王位継承を約束された、という理由から実際に王位継承をしたエドワード王の義弟、ゴドウィンソンことハロルド2世に対して攻撃を始め、ヘイスティングズの戦いで勝利、ハロルド2世は戦死してしまいます。

こうして、ノルマンディー公ギョームはブリテン島でノルマン人最初の王となり、長くブリテン島を支配していたサクソン人の王は途絶えました。

これがノルマン・コンクエスト、いわゆるノルマン朝の始まりですね。

フランス読みのギョームを英語に直すとウィリアム。 続きを読む 最後のサクソン人の王エドワード

最初のノルマン人の王

ケルト系民族に取って、なにより憎いのはサクソン人。

そのサクソン人の王を記録から排除、サクソン人撃退に獅子奮迅の活躍をしたアーサーを王に仕立てて美談を作り、民衆の共感を得ると同時に、そのサクソン人王政を撃破したのが現王政である、ということを暗にアピールしたのが、「ブリタニア列王史」である、というのが現在、この歴史書に対する見解です。

歴史書を書いたジェフリー・オブ・モンマスは当時のオックスフォード助祭長のウォルターから「ブリトン人の言葉で書かれたかなり古代の本」をラテン語に翻訳した、と主張していました。 続きを読む 最初のノルマン人の王

歴史書というより創作本として価値あり

現代において歴史書とは認められていない「ブリタニア列王史」を書いたジェフリー・オブ・モンマスの名誉のために付け加えるとするならば、当時において歴史書の資料を手に入れることはとても困難であり、口語伝承が記述に重要だったことを考えれば正確な史記の作成というのは無理な話といえるでしょう。

時代背景を考えれば王政だけでなくキリスト教会の意向も加味されるので脚色は当然の結果とも言えます。 続きを読む 歴史書というより創作本として価値あり