「おまじないの話」カテゴリーアーカイブ

使わなくなったパワーストーンは自然に返す

使わなくなったパワーストーンや、割れてしまったパワーストーン。

どうすればいいのでしょうか?

パワーストーンは放っておくと、力を放電してしまうこともあります。

押入れの奥にしまっていてもそこで力を出して、部屋の気が意図しない流れになってしまうことも。

悪いことが起きるとまではいきませんが、気のバランスが悪くなってしまいます。

しかし、処分しようにも、どこに出したらいいのかも難しいところです。

燃えないゴミとしても出せますが、お世話になったパワーストーンに対して少し失礼な気もしますよね。 続きを読む 使わなくなったパワーストーンは自然に返す

誕生石は相性の合うパワーストーン

人にはそれぞれの星座があるように、誕生石もあります。

一月はガーネット、二月はアメジスト、三月はアクアマリン……というように、月ごとに石が決まっているのです。

由来は諸説ありますが、旧約聖書にも載っているほど古くから伝わっています。

誕生石には通常の力の他に、守護的な力も備わります。

守護石とも呼ばれ、自分の誕生石を身に付ければ加護があるとされています。

誕生石は月ごとのものだけではありません。

日ごとのものもあります。

つまり、366日、全ての日に誕生石があるのです。 続きを読む 誕生石は相性の合うパワーストーン

パワーストーンは手助けしてくれる仲間

世の中には多くのパワーストーンが存在します。

石は自然の中で育まれ、特殊な力を蓄えてきました。

長い年月を経て宿った力が、私たちにも良い影響を与えてくれるのです。

ただ、パワーストーンはあくまでもサポート的なものです。

その石を持っているだけでは、何も起こりません。

夢を叶えたいなら、それに向かって努力します。

そうすれば、パワーストーンは力を貸してくれ、それが最後の一押しになることだってあります。

人間関係だって、恋愛だって、石に頼るだけでは上手くいくはずがありません。 続きを読む パワーストーンは手助けしてくれる仲間

「不思議な力」を利用しておまじない効果を高める

おまじないは立証論。

子供の頃、転んで膝小僧を擦りむいた時やタンスの角に小指をぶっつけて声も出ないほど痛い時、よく母親が「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んでけ~」とおまじないをかけてくれました。

もちろん母親は擦りむいた傷にマキロンを塗ってくれたり小指をマッサージしてくれたりして痛みを軽減してくれていたのですけれど、子供にしてみれば母親のおまじないが効いた、と思えるほど効果絶大なものがありました。

果たして、おまじないは本当に効果があるのでしょうか?

結論から言えば、おまじないは効果があるのです。

その理由は、おまじないは確率論ではなく立証論だから、です。 続きを読む 「不思議な力」を利用しておまじない効果を高める

おまじないは「不思議な力」の呪術

おまじない、漢字で書くと「お呪い」となります。

なんだか、おまじないのホンワカした音調に対して、いきなりオドロオドロしい雰囲気になりますね。

なにしろ、おまじないは人類初期社会、あるいは現代でも文明初期において「不思議な力」がもたらす効能や占いがルーツとなっているのですから、この「お呪い」の漢字の方が本来の意味を持っているわけですね。

この「不思議な力」はその民族が持つ神聖な存在が発揮するものです。

時と場所によっては精霊だとか神だとか悪魔だとか、そういった存在で、それらの存在とコンタクトを取れる選ばれた者だけが、存在から託された「不思議な力」を授けてくれる、というわけです。

この「不思議な力」、まったく根拠がないわけではなく、医療の未発達な初期社会において薬草がもたらすさまざまな効果(そのなかには幻覚や幻聴という症状も含め)は「不思議な力」の存在を示す絶好の演出道具であったことは想像に難しくありません。 続きを読む おまじないは「不思議な力」の呪術

恋のおまじないは本当に効くのか?

今時の「お呪い」で多いのはやっぱり恋のおまじないでしょうか。

自分を見向きもしないような相手や自分と別れて新しいパートナーを見つけている相手と復縁したい、なんて無茶な願いを叶えるための「お呪い」がネットのなかに溢れています。

無茶な願いを叶えるための「お呪い」だけに、ほとんどは古来の手法とかけ離れ、「不思議な力」の経由もなく、根拠のまったくないものばかりのくせに、やたらと手順を踏ませる怪しい宗教のような「お呪い」ばかりで信じる人がいるのかいな?と疑問を抱かせるのですが、「私はこのお呪いで昔の彼と復縁しました!」なんて言われると二の句が告げず、黙っちゃうしかありません。

こういった点がおまじないは立証論である証拠でもありますが。

無茶な恋の願いをおまじないで行うくらいなら、なぜ自分に向いてくれないのか、とか、なぜ別れたのか、とか、そっちを考えた方がよほど恋には効くはずなのですが、結局のところ、お呪いに頼る人はそこまで頭が回らないのでしょう。 続きを読む 恋のおまじないは本当に効くのか?

古典的都市伝説のおまじない

恋のおまじない、とにかく多いです。

ほとんど都市伝説的で、なぜこの行為が効果あるのかまったくわからないけれど、共通しているのは儀式的であること。

こういった点は古来の「お呪い」的であり、人間、現在の文明社会に生きようとも根本のプリミティブな部分ではまったく進化していない証でもありますね。

たとえば、好きな人の影を踏む、なんておまじないはけっこう流行りました。

でも、これは好きな人がいて、しかもどのような状況であろうと一緒に行動できるという限定があるので万人向けとはいえませんね。

新品の消しゴムに好きな人の名前を書き、カバーをつけて誰にも見られないようにし、必ず使い切る、なんておまじないもあります。 続きを読む 古典的都市伝説のおまじない

誰が考えたか恋のおまじない

まだまだあります、都市伝説的恋のおまじない。

プリンもおまじないの道具になるみたいですね。

台形のカラメルのかかった部分から食べていき、縁を残して火山の火口のような形にして、火口底に堪ったカラメルを時計回りに5回、縁へかけていくそうです。

これ、彼氏や彼女だけじゃなくて一緒に食べている人がいたらドン引きするほど汚い食べ方になるので絶対に一人の時に行ってくださいね。

これがなぜ恋のお呪いになるのかまったく疑問ですが、中高生の女の子が食べ物を(傍から見ていると)グチャグチャにして食べている光景を見かけます。

おそらく、そういった中高生女子の願掛け的行動がおまじないまで発展したのでしょう。 続きを読む 誰が考えたか恋のおまじない

神様経由だからおまじないが効く

恋のおまじないが多いのは、それだけ恋がままならず不条理で予測不可能、ひいては自分の存在すら肯定的ではなくなるほど狼狽することもあるからでしょう。

その不条理、不確定さに対抗できるものがあるとしたら、それはやはり「不思議な力」ということになりますね。

したがって、おまじないを行うなら最低限、その「不思議な力」が介在している方法を選んだ方がまだ納得できるのではないでしょうか?

都市伝説的なものにはどうしても偶発性から生まれた感が強く、「不可解な行動」ではあるけれど「不思議な力」がどのように働くのかまったく分かりません。

好きな人に一度電話をかけ、相手が出ないうちに切り、その後、それを3回繰り返して電話機に赤い糸を垂らしておけば、好きな人から電話がかかってくる、なんておまじないまでありますが、これ、相手から電話がかかってきたら「ワン切りしてんのお前だろ!」なんて怒られちゃいそうですからね。 続きを読む 神様経由だからおまじないが効く

神事として扱われるおまじない

現在のおまじない、都市伝説的なものが出始めてなんでもあり、の状態ですが、現代社会ほど文明が発達していない時代(もちろん現代が高度に発達した文明を持っているというわけではありませんが)、おまじないは「お呪い」の漢字でもわかるように、呪術の一種、つまり神事だったわけですね。

この呪術、漢字で表すと禍々しい雰囲気を持っていますが、呪術は二通りあって、人の心を惑わすための邪術と公共の利益(天候の回復や病気の治療など)のための妖術があり、これを行うのがシャーマン、つまり祈祷師や巫女です。

もっとも現在の神社で巫女さんは神事の奉仕という役割になっていますが、神社と「お呪い」は切っても切れない関係。

神社にお願いごとをする願掛けも、言ってみれば「お呪い」と同義語ですから。 続きを読む 神事として扱われるおまじない

出雲大社に出かける恋のおまじない

10月、日本の暦は神無月といいます。

これは日本中の神様が10月になると総本山の出雲大社に集まるからで、出雲大社のある島根県とその地方では逆に神在月と呼ぶそうです。

なぜ10月になると日本中の神様が出雲大社に集まるのか?

じつは各神社で願い事をされた神様たちが出雲大社に祀られている大国主大神にお伺いを立てて願い事の審議をするため、だそうです。

この大国主大神、本来は農業や商業、医療を司る、とまさに妖術の権化みたいな神様ですが、なぜか縁結びもこれにつけ加えられています。

大国主大神、じつはさまざまな女神たちと多くの子供を設けており、一夫一婦制の今、かなりの浮気者なのですが、そこは故事の神様の行いということで縁結びの神様という謂れになったのでしょう。 続きを読む 出雲大社に出かける恋のおまじない

柏手はしっかり音を出すこと

出雲大社まで出かけて恋のおまじない(願掛け)を行うためには、おまじないのための儀式をきちんと行わなければなりません。

プリンを真ん中から食べるとかアルテミスの呪文を唱えるのと一緒ですね。

出雲大社で行う儀式は二拝四拍手一拝。

まず90度の角度まで深いお辞儀を2回、これが二拝で、続いて4回の柏手(かしわで、両手をパンと合わせる行為ですね)が文字通り四柏手、そのまま手を合わせ、心のなかで自分の名前を言って、それから願い事をし、最後にまた深々とお辞儀を1回、これが一拝。

一般的に神社は二拝二拍手一拝が基本ですが、出雲大社や他の一部の神社では柏手を4回、または8回というところもあります。 続きを読む 柏手はしっかり音を出すこと