言葉の力は、独り言ではその力は発揮できません。
誰にも向かっていかない言葉は、宙を彷徨って、落ちてしまいます。
言葉は誰かが受け取って、初めて意味をなすのです。
それが自分に向かっての言葉でも構いません。
言葉は、もともとはコミュニケーションのためのものです。
誰かと誰かを繋ぐのが言葉の役目なのです。 続きを読む 言葉のキャッチボール
言葉の力は、独り言ではその力は発揮できません。
誰にも向かっていかない言葉は、宙を彷徨って、落ちてしまいます。
言葉は誰かが受け取って、初めて意味をなすのです。
それが自分に向かっての言葉でも構いません。
言葉は、もともとはコミュニケーションのためのものです。
誰かと誰かを繋ぐのが言葉の役目なのです。 続きを読む 言葉のキャッチボール
ノートやパソコンに言葉を書くとき、間違えれば消しゴムやDeleteボタンですぐに消すことができます。
消してしまえばさっき書いた言葉の痕跡すらなくなります。
なかったことにできるのです。
しかし、口にしてしまった言葉はそうはいきません。
『今のナシ』とすぐに言っても、もう遅いのです。
口から放たれた言葉は、誰かの耳に届くのと同時にその力も発動してしまいます。 続きを読む 口にした言葉は取り消せないけど
日頃使っている言葉。
その言葉に人柄も出ます。
ポジティブな言葉を使っているとポジティブな、ネガティブな言葉を使っているとネガティブな人だと思われます。
その人らしい言葉使いというのがあるでしょう?
マイナス思考の人はすぐに『ダメだ~』と言いますし、プラス思考の人はどんなことがあっても『大丈夫』と言います。
人の性格を知りたければ、その人の言葉を探ればある程度はわかってくるはずです。 続きを読む 言葉が人柄をつくる
「人は死んでも、その人の影響は死ぬことがない」
こう言ったのは1950年代中頃から公民権運動を始めたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師。
1963年の8月、リンカーン記念堂の前でキング牧師が人種差別のない世界が来ることを切々と論じる「I have a Dream(私には夢がある)」の演説は人種を問わず大きな共感を呼び、翌年には公民権法が制定、アメリカの法律上における人種差別は終わりを告げました。
1968年、キング牧師は白人男性から暗殺されましたが、キング牧師の言葉通り、キング牧師の「I have a Dream(私には夢がある)」は現実になりつつあります。 続きを読む 名言が人生を変える端緒になる
キング牧師の「人は死んでも、その人の影響は死ぬことがない」という名言は偶然にも他のアメリカ人によって立証されました。
第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディ氏。
名言は数多くありますが、そのなかのひとつに、1962年9月、ライス大学で行われた演説があります。
「The Moon Speech」ですね。
ライス大学がNASAのために広大な敷地を提供、ケネディ大統領はライス大学から名客員教授として招かれ、最初の講義という形で演説が行われました。
「We Choose go to the Moon.~我々は月へ行くという選択をした。60年代が終わるまでに月へ行く~」
当時は米ソ冷戦の真っ只中。
60年代初頭、ソ連は宇宙開発でアメリカよりも一歩先んじていたため、アメリカ国内にはソ連に負けるのではないか、という不安が蔓延していました。 続きを読む 我々は月へ行く!ジョン・F・ケネディ
「もし君が家具のデザイナーでとても美しいタンスを作っていたら、背面で誰も見ないからといって後ろにベニヤ板を張ったりするだろうか?」
これも世界を変えた男の言葉です。
スティーブ・ジョブズ氏ですね。
1975年にジョブズ氏は共同で世界初となるパーソナルコンピューター、APPLEⅠを開発、販売しましたが、その後、1985年に自分で創立したアップルコンピュータから解雇されています。
その間、アップルコンピュータは業績が悪化、一時は倒産するのではないかと囁かれましたが、1996年にジョブズ氏が復帰すると同時に、快進撃が始まります。 続きを読む 細部まで美しく!スティーブ・ジョブズ
世界を変えた男、というよりも自分たちの世界を守ろうとする男の言葉も民衆を喚起させるきっかけになった例をご紹介しましょう。
「行動は希望とは切り離せないものだ。希望はまさに人間にしかないものらしい。そこで個人においては、希望の終わりは死の始まりと思いたまえ」
これはフランス第5共和政初代大統領となったシャルル・ド・ゴール氏が第二次大戦中、亡命先のロンドンからラジオを通じてフランス国民へ抵抗運動、レジスタンスを呼びかけた時の言葉です。
実際、この放送を聞いていた人はほとんどいない、と言われています。 続きを読む パリよ、永遠なれ!シャルル・ド・ゴール
「お金は天から降ってこない。地上で稼ぎ出さねばならない」
世界を変えたのは男ばかりではありません。
女性だって世界を変えているのです。
この言葉は1979年から1990年までの間、イギリスで初となる女性首相となったマーガレット・サッチャー女史によるものです。
サッチャー女史が首相になる以前、70年代のイギリスはインフレ率24%を超え、76年には国際通貨基金の救済を仰ぐほど経済が低迷していました。 続きを読む 好かれなくても尊敬されることが大切!マーガレット・サッチャー
日本の政治家も激動の歴史のなかで名言を残しています。
ここで取り上げるのは善悪、好き嫌いはともかく圧倒的な存在感を示した田中角栄氏。
「辻説法も、毎日3ヶ月も続ければそのうち立ち止まって聞いてくれる人も出てくる。そうしたら、みなと握手して名刺を渡しなさい。流した汗と振り絞った知恵の分だけ結果が出る。選挙の僥倖はない」
第64・65代内閣総理大臣を務めた田中角栄氏の遊説は有名ですね。
真っ白なワイシャツと長靴を何枚も何足も用意しておき、長靴姿で汚れを気にせず田んぼの中まで入り、有権者の手を握って熱い挨拶、そして着替えてまた同じことの繰り返し。 続きを読む 流した汗と振り絞った汗の分だけ!田中角栄
清濁併せ呑み、現実を見据えて中間層を取り込みながら自分の理念を推し進める田中角栄氏に対して、第66代内閣総理大臣を務めた三木武夫氏は政治浄化に執念を燃やした政治家でした。
1970年代の日本の政治舞台は戦国時代にも似て、三角大福(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)による派閥争いは熾烈を極め、その象徴的な出来事が1972年の自民党総裁選です。
この4名で争われた総裁選で三木武夫氏は最下位となりましたが、田中角栄氏に日中国交正常化へ取り組むことを条件に支持、結果、決選投票で田中角栄氏が総裁の座についた経緯があります。 続きを読む そして国は滅びる!三木武夫
三角大福という政治の戦国時代の話が出たので、実際の日本の戦国時代に残された名言をご紹介しましょう。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
信濃一帯を治めた甲斐守護職、武田信玄が戦略・戦術をまとめた「甲陽軍鑑」に記した言葉です。
戦国時代の居城は実践的な作りが多く、江戸時代に入ってからの、大名の象徴のような作りとは違いますが、武田信玄は生涯、城を作らず躑躅ヶ崎館(つつじがさきかん)という屋敷に住み、頼りになるのは城ではなく人、という理念を貫きました。 続きを読む 情けは味方、仇は敵なり!武田信玄
甲斐に武田信玄公がいれば越後には上杉謙信公がいます。
「吾れ好敵手を失へり。世に複たこれほどの英雄男子あらんや」
これは「日本外史」に記された上杉謙信の言葉で、食事中に武田信玄の死を聞いた謙信公は箸を落として号泣した、と言われています。
軍神と恐れられた謙信公と信玄公は5回に渡る川中島の戦いでライバル関係としてよく知られていますね。
そして謙信公と信玄公のエピソードで有名なのが塩を送る話。 続きを読む 吾れ好敵手を失へり!上杉謙信