「言葉の力と名言集」カテゴリーアーカイブ

道徳的ではない寓話のディストピア!大人が読む寓話の教訓

ジェームズ・クラベルの短編小説、「The Children’s Story」は日本でも「23分間の奇跡」というタイトルで1991年のフジテレビ「世にも奇妙な物語 冬の特別編」の中の1本として放映されました。

賀来千香子さんが女教師役ですね。

日本でクーデターが起きて憲法が改正されたという設定、国旗を切り裂く代わりに「平等・自由・平和」と書かれた額縁を屋外に捨てる、あるいはラストでジョニー君に相当する生徒が先生から煽てられ、他の生徒からも持ち上げられて学級委員長になるなど、若干の違いはありますが、根底の部分は同じです。 続きを読む 道徳的ではない寓話のディストピア!大人が読む寓話の教訓

アリとキリギリスに見るお手本的寓話!大人が読む寓話の教訓

寓話、とは結末に教訓的な暗喩を残している単純な物語の総称です。

暗喩の部分が寓意ですね。

難しく捉えるよりも代表的な例を上げた方がわかりやすいでしょう。

まずは誰でも知っている「イソップ物語」の「アリとキリギリス」。

夏の間、キリギリスはバイオリンを弾いて歌って過ごしますが、アリは食料がなくなる冬に備えてせっせと働き、食料を溜め込みます。 続きを読む アリとキリギリスに見るお手本的寓話!大人が読む寓話の教訓

教訓を鵜呑みにして細部を見逃さない!大人が読む寓話の教訓

イソップ物語のアリとキリギリス、さてどのような寓意を感じたでしょうか?

なんだか小学校の授業みたいですね。

こういう時って必ず優等生的な発言をする小煩い学級委員長みたいのがいて、「キリギリスのように遊んでばかりいると、いつか報いが訪れて困ることになる」みたいなお手本の答えを言うのが定番ですが、この際、子供の頃に見た、聞いたアリとキリギリスから感じた寓意を正直に言っちゃいましょう。

せっかく太陽がキラキラと輝いて遊べる季節なのに、冬の心配をして遊ばない吝嗇家はたとえ理由はどうであれ飢餓寸前の困窮者が目の前にいても施しはけっして与えないものである、というのが寓意。 続きを読む 教訓を鵜呑みにして細部を見逃さない!大人が読む寓話の教訓

ウサギとカメの教訓!大人が読む寓話の教訓

もうひとつ、イソップ物語から誰もが知っている寓話、「ウサギとカメ」を例に上げましょう。

いつもウサギに足が遅いとバカにされていたカメはとうとう怒り心頭に達し、ウサギに山の麓まで競争を挑みます。

当然、その勝負を受けるウサギ、いざ競争が始まればカメを残して山の麓まで一気に到達、カメが見えないのをいいことにゴール前、余裕綽々で待っていればやがて睡魔に襲われ、眠ってしまいます。

しばらくして目を覚ましたウサギがそこに見た光景は、自分が寝ている間に遅い足でウサギを追い越し、そしてゴールして喜んでいるカメの姿でした、というお話。 続きを読む ウサギとカメの教訓!大人が読む寓話の教訓

カメはいかにして高慢ちきなウサギに勝つことができたか?!大人が読む寓話の教訓

イソップ物語の「ウサギとカメ」の寓話、多くの改変があります。

有名なのは「リーマスじいやの話」という童話集に出てくる「ウサギどんにあいてがあらわれた話」ですね。

ウサギとカメが競争するという点、ウサギが高慢ちきで生意気で自信満々な点は同じですが、競技性が高まっており、きちんとハゲタカが審判員になっています。

またカメは足の速いウサギに対してハンディキャップを申請、ウサギの走る道ではなく茂みの中を進むことを主張します。 続きを読む カメはいかにして高慢ちきなウサギに勝つことができたか?!大人が読む寓話の教訓

絶対にカメを追い越せないウサギ!大人が読む寓話の教訓

イソップ物語でもリーマスじいやの話でもカメに負けてしまうウサギですが、数学的にもカメに負けてしまうことを立証したのが古代ギリシャ人のゼノンです。

ゼノンの数学的立証は、ウサギが時速100km、カメが時速50kmという前提で計算が行われます。

この数値であればウサギは確実にカメに勝てるので、ウサギはゴール前で寝るのではなく、スタートの段階で寝てしまいます。

その寝ている段階でカメはすでにウサギを1km引き離してしまいました。 続きを読む 絶対にカメを追い越せないウサギ!大人が読む寓話の教訓

ゼノンのパラドックス!大人が読む寓話の教訓

絶対にカメを追い越す事ができないウサギ、ゼノンのパラドックスが生まれたのかというと、ピタゴラス派の数と無限、一性と多性の考え方に対して批判を込め、背反理論として提示したからです。

寓話がテーマなので、もうちょっと簡単に言うと「数を定義として無限を設定すると前提に誤りが潜んでいることに気がつかなければ非現実的な結果であっても正しいと受け入れなければならなくなる」と主張しているわけですね。

先ほどのウサギがカメに追いつけない話、実際はウサギではなくギリシャ神話のアキレスですが、これの元になったのが二分法です。 続きを読む ゼノンのパラドックス!大人が読む寓話の教訓

キリスト教道徳観を教訓としたイソップ寓話!大人が読む寓話の教訓

「アリとキリギリス」や「ウサギとカメ」などの寓話は小学校の教科書でお馴染みのイソップ童話に収まっています。

子供でも、というより子供のうちに寓話の教訓を覚えさせようということで童話となっていますが、これ、じつは古代ギリシャ時代にアイソーポスという奴隷が地方に伝わるいろいろな寓話をまとめて民衆に話していたことが原典。

古代ギリシャで神話を説く吟遊詩人と同じスタイルだったわけですね。 続きを読む キリスト教道徳観を教訓としたイソップ寓話!大人が読む寓話の教訓

布教の一環として日本に流入してきた伊曽保物語!大人が読む寓話の教訓

中世ヨーロッパの道徳的観念から見れば、寓話ほど教育に最適な物語はありません。

あえて無謀を承知で言うなら、信者に取っては経典となる聖書も無神論者から見れば寓話の塊のようなものですから。

信者にしてみれば聖書は神の言葉であるから間違いはない、だからこそ信じるに値すると言うけれど、たとえ神様の言葉が本当だったとしても口述筆記したのは人間なんだから、そこに恣意が入らないとも限らないし、解釈が正しいとも限らない、というのが信者と無神論者、あるいは聖書研究家との永遠の討論のテーマとなっています。 続きを読む 布教の一環として日本に流入してきた伊曽保物語!大人が読む寓話の教訓

カエルとウシから社会的教訓を得るとしたら!大人が読む寓話の教訓

イソップ寓話は最終的に教訓譚とさせられてしまいましたが、それにしては残酷であり勧善懲悪という二元的西洋的文化に染まっているため、大人になってからは素直に頷けない部分が多く目につきます。

もちろん、個人の自由なのでイソップ的な寓話から企業に務めるための教訓を得る、なんてことを考えるのも勝手ですが、はっきり言って寓話からもっともらしい教訓を得られる人は社会人としてそれほど期待感が持てないと断言できます。

たとえば「カエルとウシ」の話。 続きを読む カエルとウシから社会的教訓を得るとしたら!大人が読む寓話の教訓

星新一のショートストーリーから寓意を探る!大人が読む寓話の教訓

さて、イソップの寓話が語り継がれ、教科書にまで採用される背景にはキリスト教的道徳教訓が結末に用意されているからで、今更イソップの寓話から教訓を得るにはいささか(少なくともこのコラムを読んでいる人に限れば)歳を重ねていると言えます。

だからと言って寓話を軽視しているのではなく、むしろ年齢に相応しい寓話に触れることをお勧めします。

たとえばショート・ショートの神様と言われた星新一の小説。 続きを読む 星新一のショートストーリーから寓意を探る!大人が読む寓話の教訓

「おーい でてこーい」の恐怖!大人が読む寓話の教訓

星新一の掌握小説「おーい でてこーい」の続き。

村に突如、現れた不気味で不思議な穴は都会でも話題になり、学者だとか新聞記者がやってきて散々調査するけれど、分かるのは底なしの穴であるということだけ。

村の住人は穴のあったところに神社があったので、とにかく困っていたところ、1人の男が申し出ます。

「私にその穴をくれるなら、穴も埋め立てて、神社も集会場つきの立派な社を建てましょう」 続きを読む 「おーい でてこーい」の恐怖!大人が読む寓話の教訓