真の友情を育てるためには、たとえ群れの中で疎外されようと我を通す相手を信頼する勇気が必要になります。
その時、群れの多くは我を通す人間に対して正と多数を振り回して、間違いを指摘、それを認めさせようとします。
よくあることですね。
以下はベンジャミン・フランクリンの言葉です。
「どんな愚か者でも、他人の短所を指摘できる。そして、たいていの愚かな者が、それをやりたがる」 続きを読む 愚か者が得意気にすること
真の友情を育てるためには、たとえ群れの中で疎外されようと我を通す相手を信頼する勇気が必要になります。
その時、群れの多くは我を通す人間に対して正と多数を振り回して、間違いを指摘、それを認めさせようとします。
よくあることですね。
以下はベンジャミン・フランクリンの言葉です。
「どんな愚か者でも、他人の短所を指摘できる。そして、たいていの愚かな者が、それをやりたがる」 続きを読む 愚か者が得意気にすること
友達ができると、その友達に本音を言わない人が増えているそうです。
こんなことを言ったらドン引きされるかな?という不安が先に立つという心理が原因ですが、さらに今風なのは本音をすぐにLINEなどのSNSに書き込まれるのではないか、という恐怖に近い感情ですね。
まあ、友達に本音を言わないというのは友達同士におけるプライドを考えればけっして間違ったことではないのですが。
時として、友達ができると甘えから本音と愚痴や他人の悪口の区別がつかなくなることがあります。 続きを読む 他人に同情を求めすぎると・・
ネットと携帯電話、スマートフォンの普及によって若年層の友人関係に変化は表れたでしょうか?
確かに友人には悩み事を相談せず、いつも仲が良くて楽しい話だけをして、深く入り込まず長くつきあえると思っている関係が多くなりました。
でも、ホントに心底、友達ってそういうもの、と思っています?
その割に、若年層に人気のアニメって友情テンコ盛りで火傷しそうなくらい熱くないですか?
ベッタベタの関係でありながら、予定調和で敵とさえも最終的には友情で結ばれるというパターンも珍しくありません。 続きを読む 熱血コミックが多いのはなぜ?
友情を描いた映画はそれこそ星の数ほどありますが、タイトルが見事に結末を暗示している作品が邦題「さらば友よ」です。
1968年の製作ですから完全に名画の部類に入りますが、そのストーリーや気の利いたカット、主人公たちのカッコよさは今でも色褪せてはいません。
やや複雑なストーリーなので粗筋は省きますが、この映画の原題は「Adieu l’ami」で、お分かりのようにフランス語、つまりフランス映画ですね。
フランス語に詳しい人ならお分かりでしょうけれど、一般的な別れの言葉は「Au revoir」とか「A bientot」を使います。 続きを読む Adieuの意味
先日も栃木でママ友イジメをLINEで行っていたことから、2人の母親が連続して自殺するという悲惨な事件がありました。
教育委員会だとか市町村だとか、そんな公共機関が結託して問題を露出させずに沈静化を図ろうとしているところがなんともやりきれませんが、群れへの執着、動物的な帰属本能を大人になっても捨てきれない大人がいることも事実。
社会に出たからといって、人間関係の複雑さに心痛める生活は変わりないのが現状ですね。
群れの中でリーダーとなるのは社会人になっても権力や金、暴力、そして人望の持ち主であることに変わりありません。 続きを読む 自分の心を支配できない群れのリーダー
群れの中にいると、誰かに従わざるを得ません。
中心的人物の人望が厚ければ強制的に従わされるのではなく、自ら進んで従うこともありますが、そういった群れには特別な暗黙のルールもなければ読まなければならない空気も存在していません。
そもそも、群れとして主従の関係すらないといえるでしょう。
理想的な群れですが、しかし現実は大人になってもイジメが存在するような群れもあり、そこに疑問を感じながらも自分への報復を恐れて表面的に従い、流れに任せている人も多くいるはず。 続きを読む へつらうことの心の貧しさ
群れの中で、中心的人物にへつらい、媚びて安穏として生きるか、それともそんな群れの中で生きるくらいなら群れから飛び出し、孤独を潔しとして生きるか、それは本人の選択です。
もちろん、嫌なのに群れの中に留まろうとするには理由がつきもの。
曰く、子供のためとか、家族のためとか、誰かのためとか。
その言い訳は必ず自分ではなく周囲の人間を理由にしていることが特徴ですね。 続きを読む 時には孤独を潔しと感じられること
「他人に変わって欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ」
こう言ったのは非暴力と不服従でイギリスからのインド独立運動を指揮したガンジーですが、また、こうも言っています。
「握り拳とは握手できない」
実際、ガンジーはパキスタンがインドから独立する際、ヒンドゥー教原理主義者からイスラム信奉者に甘すぎると非難され、結局、狂信的なヒンドゥー教原理主義者に暗殺されてしまいました。 続きを読む けっして理解できない相手に対して
世の中、好きな人間や価値観の同じ人間だったら、どれほど平和になるだろう、幸福になるだろうとは思いますが、じつはさまざまな個性があるから世の中、発展もすれば人種を存続することもできているのです。
もし、似たような遺伝子ばかりだったら特定のウイルスに耐性が弱くなって種の保存が効かなくなったり、似た遺伝子同士の諍いは際限がなくなるのでこれもまた人類滅亡の危機に陥ったりするのです。
したがって社会の群れの中には自分と完全にソリが合わない人がいて当たり前。 続きを読む 多様性を受け入れる必要について
どんな人間でも、結局は正面から正直にぶつかっていけば、互いは理解し合える、なんて熱血漢がたまにいます。
はっきり言って無謀、徒労といえるでしょう。
相手が自分と似たような価値観や境遇を持っていれば、多少の努力で分かち合うことができます。
しかし育った環境があまりに違えば、どれほど真正面からぶつかったところで溝が深まるばかりです。 続きを読む 熱血漢ほど意外に冷めやすいもの
群れの中で他人に忠告するのはとても難しいことです。
とくに群れの中心的人物になると上から目線になって言葉もキツくなり、相手の尊厳を無視した威圧的な態度になることがあります。
そういった群れはやがて力の支配に変わり、群れの中の空気は殺伐化、自由な風潮が消えて全体統一的思考になり、誤った方向に進んでも誰も何も言えなくなります。
戦前の日本、あるいは今の一部の政党みたいですね。 続きを読む 坂本龍馬が薩長を説得できたワケ
本当の友人であれば、時には意に反してでも忠告しなければならない時があります。
しかし、大方の忠告はたいした決意もなく、世論や常識、固定観念に当てはめて正義を気取った行為でしかありません。
忠告をするなら、その責任を最後まで果たすことが本来の人間関係ですが、正義を気取った忠告は時に中途半端となり、言った人間の自己満足で終わるケースが少ない上、忠告された方は単に気分を害しただけとなります。
ニーチェは他人の忠告に対して、次のような言葉を残しています。 続きを読む お前の言い方が気に食わないんだよ!