もう1本、佳作からの名セリフを紹介しましょう。
日本では2013年に公開された「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」は、優雅なリゾート生活を送るためにイギリスからインドのジャイプールにやってきた7人の熟年男女の物語です。
優雅なリゾートホテルのはずだったマリーゴールド・ホテル、じつは廃墟に近いぼろホテルで唖然とする7人、しかし出会った人たちや現地のゆったりした時間から新しい価値観を見出していく、という内容です。 続きを読む うまくいっていなければ終わりじゃない!映画名言集
もう1本、佳作からの名セリフを紹介しましょう。
日本では2013年に公開された「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」は、優雅なリゾート生活を送るためにイギリスからインドのジャイプールにやってきた7人の熟年男女の物語です。
優雅なリゾートホテルのはずだったマリーゴールド・ホテル、じつは廃墟に近いぼろホテルで唖然とする7人、しかし出会った人たちや現地のゆったりした時間から新しい価値観を見出していく、という内容です。 続きを読む うまくいっていなければ終わりじゃない!映画名言集
映画を観ずして、映画の名セリフのエッセンスを人生に活かそう、などと虫のいい話は通用しません。
名セリフを実感できるのは、その映画を観てから。
それが名セリフを活用する掟です。
どれほど世間の評判が高い映画であっても、自分で観てつまらない、と思ったら、そこに名セリフがどれほど散りばめられていようと心には届きません。 続きを読む 正しい名セリフの探し方!映画名言集
人間関係ほど複雑なものはありません。
本来、人間は集団でなければ生活できない生物ですが、アリやハチのように規則正しい関係でもなければ羊のようにおとなしい性格でもなく、ライオンやハゲタカのような捕食動物が持つ獰猛さも持っています。
きっと生物としての進化の途中で賢くなってしまったのでしょうが、中途半端に賢い状態なので人間関係でも悩んでしまうわけですね。 続きを読む 人間関係は生物的に見たらラクな方?
10代はとかく、友達を欲しがる時です。友達がいっぱいいる、というのは一種のステータスですね。
もちろん10代になると人間としての形成における成長期であるので、容姿や個性が人を惹きつける魅力となり、集団を作る要因になるので友達をいっぱい作りたいという衝動はけっして不思議なことではなく、むしろ生物として当たり前のことなのです。
中にはお金や暴力で集団を形成しようとする人もいますが、これもまた生物としての本能のまま動いているので、仕方がない部分もあります。 続きを読む 友達の数はステータス?
友達の数が多いことはステータス、と感じる人に本当の友達はできません。だって数を価値としておいているわけですからね。
「誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない」
これはヴィルヘルム・ペッファーというドイツの植物生理学者の言葉です。
友達を多く持ちたいのは理解できますが、誰でも構わず友達、つまり自分の集団の中に入れようと思えば、今度は自分のいないところで友達同士の諍いが始まり、やがて集団に亀裂が入ります。 続きを読む 誰とでも友達になりたがる友人とは?
10代の人たちが友達をいっぱい作りたい、というのは単なる生物としての帰属性なので本能として仕方のないことですが、それにしても最近はコンピューターとネットの発達で本能部分が加速されている傾向にあります。
なんか、オジサンから見ればLINEで既読していなければ不安とか、すぐに返事を出さなきゃ友達失格とか、どうでもいいようなことに思えますが、まあ、マスコミに登場する極端な例はともかく、ネットコミュニケーションにおいては少なからず、そんな気持ちは誰にでも存在しているでしょう。 続きを読む 自分を見て欲しい!という本能
自分を見て欲しい!自分に構って欲しい!最近では「かまってちゃん」なんて呼ばれていますね。
これ、承認欲求です。
社会的生活(学校から会社まで)を始めると集団帰属から他者を認識するようになり、その中で自分の価値を認めてもらえることで集団の中で居場所を見つけられるようになるという、これもいわば、本能的行動なのです。
承認欲求、必ずしも悪いことではありません。 続きを読む かまってちゃんは承認欲求
「孤独は成長している証拠」という諺があります。
とかく、群れたがるのは人間の本能とはいえ、群れることで連帯感を強め、個人の弱さを隠すということは否めません。
しかし群れるといろいろと厄介なのも事実。
群れには「明確」なルールと「暗黙」のマナーがあります。
この2つを守れないと、いずれ群れから排除されるか、または陰湿なイジメに遭いやすくなります。 続きを読む 明確なルールと暗黙のマナー
まあ、LINEやFacebookで友達の数自慢することは今風ではありますが、その承認欲求の形は日本古来、続いています。
新年になると来る年賀状の厚さですね。
いい大人になっても会社勤めをしているうちは年賀状の厚さが自分への信頼度や人間関係の証と思っている人が多く、自分に来た年賀状の数が多いほど安心する人がいます。
で、会社勤めを辞めた途端、年賀状が一気に減って落胆してしまうのですが、じつはその少ない年賀状こそ、本当につながりのある人だった、とも言えるわけです。 続きを読む 個人と組織の人間関係
孤独になることは成長の証でもありますが、山奥の一軒家で世捨て人のように暮らしている人でない限り、永遠の孤独は耐え切れるものではありませんし、やはり友人は必要でしょう。
しかし、その友人というのはこれまで紹介してきたように、帰属本能における群れた集団では意味がありません。
でも友人を作るのはけっして簡単ではないことを承知している人も多くいるでしょう。 続きを読む よき友を持つ者
本当の友達を見つけるのは、人間関係を潤滑に進めるより難しいことです。
群れている中で、なかなか本当の友達は見つかりにくいものですが、本当の友達が見つかって一緒につるんでいると、なぜか回りから群れたがる人間が寄ってくるのもまた、本当の友達の成せる業といえるでしょう。
本当の友達と一緒にいる時間が楽しいから、その楽しさに釣られて他の人たちが寄ってくるわけですね。
もっとも群れている時でも、じつは本当の友達が見つかることはあるのです。 続きを読む 間違った時でも味方になってくれる者
群れの中で間違ったことをしている人に対して味方になるのはとても難しいことです。
しょっちゅう、間違いばかり犯している人であれば味方をする価値があるか疑問も生まれてきますし。
また間違いを指摘されて激昂したり、その間違いを認めなかったりする人も友人として相応しいのか、考えてみる必要があります。
しかし、周囲が間違っていると言っても本人が確信して我を押し通す時もあるでしょう。 続きを読む 正誤は結果が示す時もある