「言葉の力と名言集」カテゴリーアーカイブ

失敗は成功のマザー!長嶋茂雄

読売ジャイアンツの黄金時代といえば川上哲治監督の元、日本シリーズ9連覇を達成した時代を指します。

現在、壮年になってなお、プロ野球大好きおじさん達には、読売ジャイアンツ9連覇時代のレギュラー選手全員の名前を覚えている人もたくさんいるはずです。

そのなかで王氏以上に輝かしい存在を放っていたのが長嶋茂雄氏。

選手時代には幾多の名言を残していますが、むしろ監督時代の名台詞の方が面白いので、そちらにスポットを当ててみましょう。

インタビュアーからどっちのチームが勝つでしょう?と聞かれた時の言葉。

「1点でも多く取った方が勝つでしょう」 続きを読む 失敗は成功のマザー!長嶋茂雄

落ちぶれてボロボロになっても投げよう!野茂英雄

今でこそ田中将大投手やイチロー外野手、ダルビッシュ有投手がメジャーリーグで活躍していますが、その礎、突破口となったのは元近鉄バッファローズ、元ドジャースの野茂英雄投手です。

1994年、近鉄バッファローズとの契約交渉に臨んだ際、近鉄側の対応と当時の監督だった鈴木啓示氏との確執から退団を決意、しかし近鉄側はあくまでも他球団で野茂氏をプレーさせないように任意引退扱いにしました。

その時、野茂氏が目指したのはメジャーリーグ。

翌年の2月、マイナー契約を結んだ時の年俸はわずか980万円でした。

誰もが成功するとは思っていなかなったなかで、野茂氏は快進撃を続けます。 続きを読む 落ちぶれてボロボロになっても投げよう!野茂英雄

俺は好かれもせず選ばれることもなかった!芹澤博文

名言を残すような名選手は必ず生命を削るようなプロ魂を見せますが、それは何もプロ野球やメジャーリーグだけではありません。

たとえば将棋の棋士。

分かりやすいヒエラルキーが存在する棋士界もまた、命を削るようなやり取りから名言が生まれています。

まずは近代将棋の生みの親、坂田三吉との「南禅寺の戦い」で知られる木村義雄十四代名人の言葉。

「やや不利は有利に、やや有利はやや不利につながるがこれはたいしたことではない。絶対有利が最大の危機であり、絶対不利は絶対有利に通じる。勝負は最後の一手を指し終えた時に決まる」 続きを読む 俺は好かれもせず選ばれることもなかった!芹澤博文

名言を残す人の共通点

政治家から戦国時代の武将、作家に釣り好き、ゴルフ好き、ベースボールプレーヤーに棋士と、古今東西、さまざまな人の名言を取り上げてきました。

こうして並べてみると、活躍した世界が違っていても名言を残す人には共通点があることに気がつきます。

◯名言を残す人は明確な目標を持っており、それを夢と表現することもあるが、目標に対して一切、ブレずに一直線で進んでいること。

◯名言を残す人は例外なく努力をしており、その努力方法についての表現が違っているだけ。 続きを読む 名言を残す人の共通点

無意識に自分で選ぶ言葉こそ自分に取っての名言

心に残る言葉、というのは個人差こそあれ、誰でもひとつやふたつ、あるもの。

名言・格言額!心に残る言葉の贈り物

それが身近にいる人なのか身内なのか、それとも過去と現在を問わず偉人や著名人なのか、それはどうでもいいことで、その言葉が自分の中で行動指針になったり、痛みを持っていた精神を和らげてくれたり、人に優しく接することができるようになったり、と自分が少しでも変わることができたとしたら、その言葉は貴方に取って揺るぎないパワーを与えてくれる源であることは間違いありません。

不思議ですね。 続きを読む 無意識に自分で選ぶ言葉こそ自分に取っての名言

大河ドラマはまたも戦国時代を生き抜いた人物が主人公

2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は徳川家康の天下取りを支えた1人、井伊直政を育てた遠州伊井谷の女領主、井伊直虎が主人公です。

NHK大河ドラマは戦国時代の人物を主人公にするのが好きらしく、ここ10年の間は7作が戦国時代物で、2016年の「真田丸」に続いて2年連続となります。

ただ、以前の戦国時代物といえば家康、秀吉、信長の三大武将か武田信玄や上杉謙信など比較的残存資料の多い人物に限られていました。

最近は黒田官兵衛や真田信繁、そして今回の井伊直虎など、戦国時代の脇役的存在にスポットが当てられています。 続きを読む 大河ドラマはまたも戦国時代を生き抜いた人物が主人公

カサブランカとカブる名言

では、最初に井伊直虎が出家する原因にもなった今川義元の名言から。

「昨日なし 明日またしらぬ人ただ 今日のうちこそ命なりけれ」

さすが公家文化に精通していた今川義元、名言もきちんと韻を踏んだ短歌になっています。

口語に訳すと「昨日は終わってしまったこと、明日のこともまた分からないこと、人は今日1日が全てである」でしょうか。

これ、何かの名セリフに似ているな、と思ったら映画「カサブランカ」で主人公のリックが酒場の前で惚れられている女性と会話する内容がそっくりでした。 続きを読む カサブランカとカブる名言

太原雪斎との出会いが今川義元を変える

「おんな城主 直虎」では「しゃべらない今川義元」を春風亭昇太さんが怪演していると話題になっていますね。

公家の格好をして軟弱そうな外観とは裏腹に無言の圧力を与える雰囲気に「海道一の弓取り」と呼ばれたオーラが潜んでいます。

ちなみに海道とは東海道のこと、弓取りとは弓で戦う人が転じて国持大名を表します。

今川家の人質となっていた徳川家康が台頭する前の東海道は今川義元が制覇、北条氏や武田氏と三国同盟も結び、まさに当時は盤石の体制を築き上げており、井伊家だけでなく全国の戦国大名からも恐れられていた人物でした。 続きを読む 太原雪斎との出会いが今川義元を変える

彦五郎は存在していなかった?というミステリー

さて、今川義元の続きですが、その前に長男の氏輝と次男の彦五郎の話を少し。

氏輝と彦五郎が同日に死去した、という記述は今川家当代のものではなく外部によるもの(高白斎記や妙法寺記など)で、しかもその死因は書かれていません。

さらに言えば今川氏系図に彦五郎の名前がないばかりか、今川家の史料には一切、その名前が出てこないのです。

一説には今川家の有力家臣であった福島氏、あるいは太原雪斎の陰謀説もあり、当主となった今川義元が家系図から彦五郎の名前を消した、という話もありますが、すべては推察の域を出ていません。 続きを読む 彦五郎は存在していなかった?というミステリー

公家かぶれと呼ばれても猛将の意地を見せた最期

「おんな城主 直虎」の時代に活躍した武将の名言集ですが、今川義元の話が長くなってきたので先を急ぎましょう。

花倉の乱を制したことによって当主となった今川義元は太原雪斎の助力によって今川、竹田、北条で三国同盟を結び、駿河、遠江、三河を収め、海道一の弓取りとなりました。

三河制圧では二度に渡る小豆坂の戦いで織田勢力を排しています。

この小豆坂の戦い、第二次合戦で大将を務めたのが太原雪斎で…となると話が長くなるので興味のある方は自分で調べてくださいね。

ともかく、今川義元は海道一の弓取りとなって全盛期を迎えましたが、桶狭間の戦いは太原雪斎亡き後のこと。 続きを読む 公家かぶれと呼ばれても猛将の意地を見せた最期

不利な状況の時に使いたい名言

「攻撃を一点に集約せよ 無駄なことはするな」

織田信長が桶狭間で今川義元を討ち取った時を要約している名言です。

桶狭間、というくらいだから狭い場所を想像しがちですが、実際は緩やかな急流地帯で、現在の名古屋市の南端辺りにあります。

桶狭間の戦いでは今川軍25,000人に対して織田軍3000~5000人と言われていますが、今川軍は西進に際して兵力を分散して攻撃しているため、この桶狭間の兵力は約5000人程度、つまり織田軍と拮抗していたというのが定説です。

ただし、桶狭間での兵力が拮抗していても合戦が長引けば当然、今川軍の援軍も駆けつけてくるわけですから、織田軍としては一刻も早く勝敗を決したいわけですね。 続きを読む 不利な状況の時に使いたい名言

群雄割拠と弱肉強食に栄枯盛衰

それにしてもこの時代、群雄割拠だけでなく弱肉強食の世の中でもありました。

四文字熟語の勉強をするなら戦国時代を題材にすれば捗ること間違いないでしょう。

織田信長が尾張を統一するまででも清州城当主で守護代だった織田信友が、信長の父である信秀の家督を信長の弟である信勝に相続させようとして暗殺を謀るなど波乱がありましたが、それより悲惨なのは桶狭間で敗れた今川義元。

まず、松平家の人質として幼少から育てた竹千代(後の松平元康=徳川家康)は桶狭間の戦いで初陣の勝利を掴んだものの、義元が討ち取られたことで今川軍が放棄した岡崎城に入り、独自の軍事行動を取って今川軍からの独立を図ります。 続きを読む 群雄割拠と弱肉強食に栄枯盛衰