「言葉の力」カテゴリーアーカイブ

情けは味方、仇は敵なり!武田信玄

三角大福という政治の戦国時代の話が出たので、実際の日本の戦国時代に残された名言をご紹介しましょう。

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

信濃一帯を治めた甲斐守護職、武田信玄が戦略・戦術をまとめた「甲陽軍鑑」に記した言葉です。

戦国時代の居城は実践的な作りが多く、江戸時代に入ってからの、大名の象徴のような作りとは違いますが、武田信玄は生涯、城を作らず躑躅ヶ崎館(つつじがさきかん)という屋敷に住み、頼りになるのは城ではなく人、という理念を貫きました。 続きを読む 情けは味方、仇は敵なり!武田信玄

吾れ好敵手を失へり!上杉謙信

甲斐に武田信玄公がいれば越後には上杉謙信公がいます。

「吾れ好敵手を失へり。世に複たこれほどの英雄男子あらんや」

これは「日本外史」に記された上杉謙信の言葉で、食事中に武田信玄の死を聞いた謙信公は箸を落として号泣した、と言われています。

軍神と恐れられた謙信公と信玄公は5回に渡る川中島の戦いでライバル関係としてよく知られていますね。

そして謙信公と信玄公のエピソードで有名なのが塩を送る話。 続きを読む 吾れ好敵手を失へり!上杉謙信

本能寺の変で信長が言った言葉

「是非に及ばず」

織田信長の家臣、明智光秀が1582年、京都の本能寺に宿泊していた織田信長を襲った「本能寺の変」で、小姓の森蘭丸に信長が言った言葉です。

羽柴秀吉援護のために出陣した明智光秀が「敵は本能寺にあり」と宣言、引き連れていた兵1万のうち、約3000人だけを伴って明け方、本能寺を取り囲みます。

異変に気がついた信長公は小姓である森蘭丸に情報収集をさせると蘭丸は明智光秀の謀反の模様、と信長公に伝えた時、上記の言葉が出てきたわけですね。

この言葉、正式には「仕方がないこと」と解釈されていますが、信長公の言った意味は少し違うようです。 続きを読む 本能寺の変で信長が言った言葉

家康に喧嘩を売った文面

信長公が本能寺の変で森蘭丸に言った言葉、「是非に及ばず」は武士に取って欠かせぬ言葉のひとつですね。

どっちが良い悪いとか理由はともかく、やるならやるぜ!

と、まあ、そんな感じでしょうか。

豊臣秀吉の死後、最高権力者となった徳川家康の元に上杉家が謀反を起こす、という知らせが入ります。

徳川家康はことの真偽を確かめるために時の藩主、上杉景勝へ上洛を申し出ますが、景勝はこれを拒否、この時、家老の直江兼続は徳川家康に対して書簡を送ります。

世に言う「直江状」ですね。 続きを読む 家康に喧嘩を売った文面

恐るべし、徳川家康!直江状、その後

名言とは少し離れますが、この直江兼続の行動がその後の関ヶ原の戦いへとつながるので、ちょっと脱線して。

さて、喧嘩を売られた徳川家康、激怒して上杉家に対し、会津征伐を実行します。

この機を逃さず、というか、家康の策にハマったといった方が正しいのか分かりませんが、動いたのは秀吉最大の家臣だった石田三成。

家康出兵後、大阪城西の丸を取り返し、さらに家康古参の家臣、鳥居元忠が守る伏見城を攻略すると家康の弾劾状を諸大名に交付します。

家康は会津征伐に関わった諸大名を集め、会津征伐から急遽、秀吉公に害を成す奸臣・三成の討伐を決定、1600年9月15日、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍による天下分け目の一戦、関が原の戦いが行われたのです。 続きを読む 恐るべし、徳川家康!直江状、その後

草の葉の露も重きは落つるものかな!徳川家康

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし、心に望み起こらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝事ばかり知って負けることを知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。人はただ身の程を知れ、草の葉の露も重きは落つるものかな」

関ヶ原の戦いから3年後、江戸に幕府を開いた徳川家康の遺訓です。

岡崎の弱小な一豪族だった松平家に生まれ、幼少時代は今川家、織田家、再び今川家へ人質として囚われ、織田信長が桶狭間の戦いに勝利すると今川家と決別、織田信長の客将として活躍、しかし武田信玄との戦いに敗れるなど、若年時代はけっして目立った武将ではありませんでした。 続きを読む 草の葉の露も重きは落つるものかな!徳川家康

最後は世界が全盲になってしまう!マハトマ・ガンジー

偉業を成し遂げた人、世界を変えた人々は名言も放っていますが、その分、自分の身をつねに大衆に晒し、反感を持つ人々からは命を狙われるという危険性が潜んでいます。

インド独立を導いた偉大な指導者、マハトマ・ガンジーは最後まで非暴力を訴えながら同じヒンドゥー教の原理主義集団民族義勇断の1人、ナートゥーラーム・ゴードセーの銃弾に倒れました。

ガンジーも名言を多く残しています。

たとえば。

「眼には眼を、を行い続ければ、最後は全世界が盲目になってしまう」 続きを読む 最後は世界が全盲になってしまう!マハトマ・ガンジー

家に帰って家族を愛しなさい!マザー・テレサ

1929年から1947年までカルカッタの聖マリア学院で地理を教えていた修道女テレサはある日、汽車に乗っていた最中、「全てを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けます。

修道女テレサは修道院を離れて活動を行う許可を求めましたが、バチカンは彼女に対して慎重でなかなか許可を与えませんでした。

それでも修道女テレサは自分の信じた道を歩もうと決意、けっして諦めずにいたところ、1948年に特別許可が降ります。

修道女テレサは質素なサリーをまとってカルカッタのスラム街に入っていきます。

やがて彼女の活動を支援するために聖マリア学院時代の教え子たちがボランティアとして集まり始めました。 続きを読む 家に帰って家族を愛しなさい!マザー・テレサ

恋なき人生は死に等しい!マルティン・ルター

マハトマ・ガンジー、マザー・テレサの2人はともに宗教家でもありました。

宗教家続きでもう1人、ご紹介。

ドイツの神学者、マルティン・ルターの名言です。

「明日、世界が滅びようとも私はリンゴの木を植え続ける」

この言葉は今、していることが無駄になるかもしれないけれど、それでも今日できることをしよう、という意味に取れます。

ただ、マルティン・ルターがこう言ったのは自分自身を鼓舞するためで、自分が啓示を受けた教えに対して迫害を続けるカトリック教会の体制を暗喩している言葉という解釈が成り立ちます。 続きを読む 恋なき人生は死に等しい!マルティン・ルター

心には氷の炎を持て!開高健

マルティン・ルターの名言を捩って、よく色紙に書いていたのが日本の大作家、開高健氏です。

「明日、世界が滅びようとも、今日、君は林檎の木を植える」

かなりの枚数が出回っており、また開高健氏は部類の酒好きだったので時折、明日と今日が入れ替わっていたり、君が私やあなたに変わっていたり、といろいろなタイプになっていますが、基本的には上記のような名言になっています。

開高健氏は作家になる以前、サントリーのコピーライターとして活躍していたこともあって、氏の書いた文章はそれこそ名言の宝庫になっています。

漂えど沈まず。

悠々として急げ。 続きを読む 心には氷の炎を持て!開高健

釣りをめぐる名言集

「顔のヘンな魚ほどうまいのだよ。人間も同じさ。醜男、醜女ほどおいしいのだよ」

これも開高健氏の言葉。

開高健氏は後年、釣りを人生の友としていました。

「賢者は海を愛し、聖者は山を愛す」と言ったのも開高健氏です。

この釣りというもの、人間を惑わす力が強く釣りにハマるとどれほどの賢者でも抜け出ることが難しくなり、無名・有名を問わず格言・名言が生まれています。

ロシアの格言より。

「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」 続きを読む 釣りをめぐる名言集

ゴルフをめぐる名言集

釣りに関するロシアの格言で、「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」という諺がありますが、これ、ゴルフにも共通する格言といえそうです。

ゴルフも釣りと同じようにストイックなゲームなので、釣りに劣らぬほど格言・名言が生み出されています。

「ハンディ30の人はゴルフを疎かにする。ハンディ20の人は家庭を疎かにする。ハンディ10の人は仕事を疎かにする。ハンディ5以下の人はゴルフ以外のすべてをおろそかにする」

イギリスの貴族出身政治家、デビッド・ロイド・ジョージの言葉です。 続きを読む ゴルフをめぐる名言集