「大人が読む寓話の教訓」カテゴリーアーカイブ

ゼノンのパラドックス!大人が読む寓話の教訓

絶対にカメを追い越す事ができないウサギ、ゼノンのパラドックスが生まれたのかというと、ピタゴラス派の数と無限、一性と多性の考え方に対して批判を込め、背反理論として提示したからです。

寓話がテーマなので、もうちょっと簡単に言うと「数を定義として無限を設定すると前提に誤りが潜んでいることに気がつかなければ非現実的な結果であっても正しいと受け入れなければならなくなる」と主張しているわけですね。

先ほどのウサギがカメに追いつけない話、実際はウサギではなくギリシャ神話のアキレスですが、これの元になったのが二分法です。 続きを読む ゼノンのパラドックス!大人が読む寓話の教訓

キリスト教道徳観を教訓としたイソップ寓話!大人が読む寓話の教訓

「アリとキリギリス」や「ウサギとカメ」などの寓話は小学校の教科書でお馴染みのイソップ童話に収まっています。

子供でも、というより子供のうちに寓話の教訓を覚えさせようということで童話となっていますが、これ、じつは古代ギリシャ時代にアイソーポスという奴隷が地方に伝わるいろいろな寓話をまとめて民衆に話していたことが原典。

古代ギリシャで神話を説く吟遊詩人と同じスタイルだったわけですね。 続きを読む キリスト教道徳観を教訓としたイソップ寓話!大人が読む寓話の教訓

布教の一環として日本に流入してきた伊曽保物語!大人が読む寓話の教訓

中世ヨーロッパの道徳的観念から見れば、寓話ほど教育に最適な物語はありません。

あえて無謀を承知で言うなら、信者に取っては経典となる聖書も無神論者から見れば寓話の塊のようなものですから。

信者にしてみれば聖書は神の言葉であるから間違いはない、だからこそ信じるに値すると言うけれど、たとえ神様の言葉が本当だったとしても口述筆記したのは人間なんだから、そこに恣意が入らないとも限らないし、解釈が正しいとも限らない、というのが信者と無神論者、あるいは聖書研究家との永遠の討論のテーマとなっています。 続きを読む 布教の一環として日本に流入してきた伊曽保物語!大人が読む寓話の教訓

カエルとウシから社会的教訓を得るとしたら!大人が読む寓話の教訓

イソップ寓話は最終的に教訓譚とさせられてしまいましたが、それにしては残酷であり勧善懲悪という二元的西洋的文化に染まっているため、大人になってからは素直に頷けない部分が多く目につきます。

もちろん、個人の自由なのでイソップ的な寓話から企業に務めるための教訓を得る、なんてことを考えるのも勝手ですが、はっきり言って寓話からもっともらしい教訓を得られる人は社会人としてそれほど期待感が持てないと断言できます。

たとえば「カエルとウシ」の話。 続きを読む カエルとウシから社会的教訓を得るとしたら!大人が読む寓話の教訓

星新一のショートストーリーから寓意を探る!大人が読む寓話の教訓

さて、イソップの寓話が語り継がれ、教科書にまで採用される背景にはキリスト教的道徳教訓が結末に用意されているからで、今更イソップの寓話から教訓を得るにはいささか(少なくともこのコラムを読んでいる人に限れば)歳を重ねていると言えます。

だからと言って寓話を軽視しているのではなく、むしろ年齢に相応しい寓話に触れることをお勧めします。

たとえばショート・ショートの神様と言われた星新一の小説。 続きを読む 星新一のショートストーリーから寓意を探る!大人が読む寓話の教訓

「おーい でてこーい」の恐怖!大人が読む寓話の教訓

星新一の掌握小説「おーい でてこーい」の続き。

村に突如、現れた不気味で不思議な穴は都会でも話題になり、学者だとか新聞記者がやってきて散々調査するけれど、分かるのは底なしの穴であるということだけ。

村の住人は穴のあったところに神社があったので、とにかく困っていたところ、1人の男が申し出ます。

「私にその穴をくれるなら、穴も埋め立てて、神社も集会場つきの立派な社を建てましょう」 続きを読む 「おーい でてこーい」の恐怖!大人が読む寓話の教訓

未来予測の寓話!大人が読む寓話の教訓

前項で星新一の初期作品「おーい でてこーい」を紹介しました。

すでに寓話を超えて現実の世界となってしまったことが大変、残念です。

ちなみに福島県が原発の誘致を始めたのは1960年ですから、それより2年も前に本作が執筆されていたことに大きな驚きがあります。

星新一の父、星一(ほしはじめ)氏が福島県いわき市出身であることは、何かの縁があったのでしょうか。

こうなると寓話というより未来予測ですね。 続きを読む 未来予測の寓話!大人が読む寓話の教訓

現代に即した形で誰でも読めた星新一の寓話!大人が読む寓話の教訓

1997年に亡くなったSFショートストーリー作家、星新一の作品は現在でも寓意の込められた作品として十分に通用する実力を持っていますが、それ以上に素晴らしいのは、星新一の作品はつねに本人によって改変が加えられて時代に即し、小説家が使いたがる難しい漢字を排除して当用漢字を使い、登場人物を少なくして固有の名前をほとんど与えなかったこと。

つまり、本を手にした誰もが物語を楽しみ、それでいて寓意を感じ取れるところにあります。 続きを読む 現代に即した形で誰でも読めた星新一の寓話!大人が読む寓話の教訓

ホテル・カリフォルニアに込められた寓意①!大人が読む寓話の教訓

2015年はベトナム戦争終結からちょうど30年目に当たります。

1975年当時、それまで西側諸国の資本主義社会こそ世界の中心であり、共産主義は人類を滅ぼすと信じていたアメリカはアジアの片隅の小さなベトナムに敗戦(もちろんアメリカは敗戦とは言わず撤退と言っています)、長く続いた東西冷戦とベトナム従軍は社会に価値観の崩壊を招き、1970年代にはディストピア世界観の蔓延と新たな寓話が至る分野で生まれました。 続きを読む ホテル・カリフォルニアに込められた寓意①!大人が読む寓話の教訓

ホテル・カリフォルニアに込められた寓意②!大人が読む寓話の教訓

前項では1970年代から今にも残るロックの名曲、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が寓話であることを紹介しました。

本項では当時、難解すぎて理解不能と言われた歌詞について説明しましょう。

この曲が発売されて以降、歌詞に対して憶測と解釈がイーグルス以外のところで飛び交い、現在は一定の解釈、寓意が成立しています。

歌詞全編に暗喩と寓意が含まれているので、ここではとくに有名な一節だけを紹介しますね。

ホテルに迷い込み、まだ退廃の気分に浸っている時、ホテルのキャプテンに(私の)ワインを持ってきてくれ、と頼みます。 続きを読む ホテル・カリフォルニアに込められた寓意②!大人が読む寓話の教訓

ホテル・カリフォルニアに込められた寓意③!大人が読む寓話の教訓

1970年代を代表するロックの名曲、ホテル・カリフォルニアの暗喩について、続けます。

さて、もっとも有名なフレーズ、“Please bring me my wine”の一節がロックの終焉であることを説明しましたが、それが結末につながるわけですね。

Last thing I remember, I was running for the door,

I had to find the passage back to the place I was before,

最後に覚えているのはドアに向かって走っていたこと、自分が前にいた場所に戻るための道を探さなければならなかった、という歌詞があります。 続きを読む ホテル・カリフォルニアに込められた寓意③!大人が読む寓話の教訓

かもめのジョナサンが求めた生き方!大人が読む寓話の教訓

価値観や固定観念が崩れた70年代は小説でも寓話がヒットしました。

そのもっとも顕著な例が「かもめのジョナサン」です。

アメリカでは1970年に出版されましたが、最初はほとんど注目されなかったものの口コミで広がり、出版の2年後、1972年にはアメリカのベストセラー・ランキングで38週の間に渡って第1位を保ち、1974年には「風と共に去りぬ」を抜いて1500万部を販売、日本でも1974年6月に出版され、現在まで270万部を出版しています。 続きを読む かもめのジョナサンが求めた生き方!大人が読む寓話の教訓