「運とツキの話」カテゴリーアーカイブ

生理的不快感を他人に与えるな

成功者といっても、非常に異なったいろいろのタイプの人がいる。たとえば、芸術家などには、奇人変人などと呼ばれ、服装に無頓着、また見るからに不潔たらしい、ポサボサの髪の毛などという人も少なくはない。

しかし、ここで、ごく一般的な意味での成功を目指す者にとっては、人々に不快な感じを与える風態は、大きなマイナスとなることを指摘したい。例えば、匂いである。風呂に長く入らず異臭をただよわせているなどとなると、生理的にも人々はこの人の周囲から遠ざかるであろう。それほどでなくても、足むれ、わきがの人は、たえずその部分を清潔にし、消臭剤を用いるなどの配慮が必要である。 続きを読む 生理的不快感を他人に与えるな

想像力は成功するための力である

個人を成功への道へと向わせる推進力は「想像の力」である。だから、想像力が豊かになるということは、成功への距離が更に短くなったという意味になる。

ではどうすれば、その想像力は豊かになるのであろうか?まず、リラックスして、思索する時間をもうけなくてはならない。次に、自己暗示を自分の潜在意識に向って与えることである。

これは、自分の願いが必ず叶うと、自分の心にくり返し命ずることである。この二つの行動は、日常習慣化されなければならない。これが習慣化されれば、潜在意識はやがて、その人の想像力を刺戟して、素晴らしいアイデアを生み出させるのである。

アイデアが生じたら、直ちに行動せよ

素晴らしい想像力も、専門的知識がそこに加わらなければ、それはたんなる思いつきとして生れ、そしてじきに消えてしまうものである。

といっても、私たちは、あらかじめ専門的知識を数多く身につけていなければいけないというわけではない。アイデアが生じたら、そのアイデア自身が専門的知識を求めるのである。

どんなすぐれた知識も、それ自身はたんなる材料にしか過ぎない。大切なことは、それらの知識をいかにうまく組み合わせ、そのアイデアを生かし、この世に送り出すことが出来るかどうかである。

だから、アイデアがひらめいたら、それを実現するための知識をまず探し求めねばならない。

成功を求める気持ちを強くせよ

結局のところ、それは二つの考え方の争いの結果にしか過ぎない。つまり、失敗と成功である。これは「失敗を恐れる気持ち」と「成功を求める気持ち」の闘いなのだ。失敗するタイプの人は、失敗することを恐れる気持ちの方が、成功を求める気持ちよりずっと大きい。だから、失敗が成功を制圧してしまうのである。

こういう人は、何か障害が生ずれば、直ちに後退してしまい、そしてその障害をその後退の口実にするのである。実際に、失敗者は、その失敗に対して言い訳上手なものである。彼はどうしてもそれが不可能であったというように、非常にうまく弁明する。しかし、成功者は成功を思う気持ちの方がずっと強いから、失敗について考えている暇がないのである。

未来に配慮しながら成功についてのみ思え

失敗を思わず、ただ成功のみを考えて、楽観的にしていさえすれば良い、これが成功哲学である、と考えてしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。それは未来に対する甘えにしかすぎない。失敗について考えるな、ということではなく、「失敗について恐れるな」といっているのが成功哲学なのだ。

あらゆる最悪の事態を想定し、分析し、自己の守備範囲を明確にした上で、腹をすえてそれに取りかかれば、最早、心配する必要はなくなってしまうのである。古語に「遠き慮り無ければ、近き憂いあり」とあるように、未来に対する心こまやかな配慮は常に必要である。そのような配慮をした上で、成功についてのみ、イメージを思い浮かべよといっているのだ。

個人主義的な信仰を持て

一代で巨富を築いたスーパー成功者には共通した特質が幾つかあるものだが、その一つに「祈りの習慣」がある。実際のところ、彼らにはそれぞれの信仰する神仏があることが多い。たとえば、大黒さまとか観音さま、弁天さまがその代表である。これらの像などを、必ず毎日拝み、祈念するのである。

しかし、考えてみれば、この世に信心深い人は多い。また、信心深くても、必ずしも成功者とならないことも事実である。ところが、これらの成功者の信仰と、凡人あるいは失敗者の信仰のそのあり方を比べてみると、そこには大きな違いがあることに気がつくのである。 続きを読む 個人主義的な信仰を持て

成功とは願ったことの成就達成を意味する

しかし、ここで注意しなければならないのは、前項62における成功者の意味は「物質的な力を得た」という、簡単にいえば「多額のおカネを得た」という狭義の意味の成功を指しているという点である。成功とは、何によらず、自分の目指していること、願っていることの達成であり、しかもその目的とするものは、人によって千差万別である。したがって、おカネを得たり、事業を拡大発展させることのみが、成功のすべてであるとはいいがたいのである。

たとえば、宗教活動でも、自分の願いが、その教えを出来るだけ世に広め、多くの人々を救いたいという気持ちから出た場合、それはおカネ以外の成功を目指すものである。この場合の情熱は、この人をして生き甲斐を得させている原動力であるかも知れないのだ。 続きを読む 成功とは願ったことの成就達成を意味する

カネをためても本物の成功ではない

西洋のことわざに「カネには二つの楽しみがある。ためる楽しみと使う楽しみと」という言葉がある。しかし、これは誰にも解ることだが、通常、成功というのは、ためる楽しみを使う楽しみより優先させることによってもたらされるものである。

使う楽しみをためる楽しみより優先させれば、即それは失敗の方向へむくことは間違いない。だがしかし、では、ためることにのみ専念すればするほど、成功への到達は容易になるのではないか、というと、これは必ずしもそうとはいえないようである。

というのは、法則の第七話をもう一度読み返して頂けば解ることだが、人間が充足を欲している本能的衝動は五つあり、おカネをためるという行為はその第一の生存本能を主として充足するものなのだからだ。 続きを読む カネをためても本物の成功ではない

使う金は他人をも喜ばせよ

では、使う方のおカネについて考えてみるとして、どのような使い方をすれば、それは成功にとって、最も好ましい使い方になるのであろうか?ここでまず別にして考えなければならないのは、ここでいうおカネとは、事業資金すなわち投資的なおカネは含まない、ということだ。

それは、ためられたおカネの消費という意味においてである。ずばりいって、この使い方は「自分と他人に対し、共に喜びを与えるような使い方」にすべきである。

また更にいうならば、それは「大衆に奉仕するための使い方」に工夫されるべきであろう。そして、他人を助けることがわが喜びであるよう配慮されるべきだ。 続きを読む 使う金は他人をも喜ばせよ

客に対して安心とあたたかさを示せ

たとえば、この支払いはきちんと払われないのではないかという疑念や怖れを表情や態度にあらわにするものに、ツキは訪れない。これは、接客業では特にそうだが、あまり質のよくない客を何回か相手にしていると、心の内に恐怖が満ちてきて、まるで世間中の客がすべて、そのように悪質に見えてきて「用心をしなければ」という気持ちばかりが強くなり、その内心の動きが外に現われてくることがある。

こういう気分が潜在意識にたまると、その人の表情相(後天的な人相)は、暗く、一種の寒気をただよわせたものとなる。すると不思議なもので、この怖れの気分の波動は、周りに伝わっていく。 続きを読む 客に対して安心とあたたかさを示せ

他人に好感を与える人間になれ

基本的な意味において、最高な接客的態度は、かつてある演歌歌手が言ったように「お客さまは、神さまです」であろう。しかし、考えてみるに、世の中じゅうの客が、自分に対して、すべて福の神であるわけはなく、時には貧乏神や、厄病神であることもあろう。

にもかかわらず「お客さまは神さまです」という態度が、最もよくツキを自分の方にもたらすというのは、殆んどの場合において、それは、人の心を喜ばし、その喜びの代償として、客は店側に繁盛をもたらしてくれるからである。 続きを読む 他人に好感を与える人間になれ

客に対する用心は態度に出すな

「お客さまは神さまです」といっても、相対する客が全部そうであると信じるというわけではない。これは、いわば表現であり、相手に快感を与えるための一つの方策としてなのである。といって、それは決して付焼刃的なものであってはならないのは勿論だが。

客はいきものであり、これはある意味では動物をとりあつかうことと似ている。動物は時に、あばれたり、人間をおそったりもする。また、作物をあらしたりして、人間に被害も与える。そこで、これらの動物を一定の囲いの中に入れて飼育することになる。 続きを読む 客に対する用心は態度に出すな