「破産」「失脚」「落選」「失恋」などから始まって、精神病院や、刑務所まで入った人まで含めて、自分の欲することを得ることに失敗した人々には、およそ、その失敗するための特質あるいは欠点という要素をそなえているものである。
特に、前記の失敗例のどれかを何回もくり返している人間は、まず間違いなく、失敗するための心構えというものをもっているものだ。例えば、私の知人に、常に人との約束の時間に遅れる人がいる。彼の考えはこうなのである。 続きを読む 失敗者を援助してはならない
「破産」「失脚」「落選」「失恋」などから始まって、精神病院や、刑務所まで入った人まで含めて、自分の欲することを得ることに失敗した人々には、およそ、その失敗するための特質あるいは欠点という要素をそなえているものである。
特に、前記の失敗例のどれかを何回もくり返している人間は、まず間違いなく、失敗するための心構えというものをもっているものだ。例えば、私の知人に、常に人との約束の時間に遅れる人がいる。彼の考えはこうなのである。 続きを読む 失敗者を援助してはならない
しかし、もし自分が失敗者の側であったとしたら、これはどうだろう。原理は第三十三話のケースと同じである。すなわち、自分には失敗要素があったのだ。それを因として、失敗体験が果として現われたのだ。
だから、自分の心の中から、この失敗のための心構えを取り除かないかきり、自分は再び失敗をかさねることだろう、とこのように冷静かつ公平に自分を観察するのである。 続きを読む 自分の失敗要素を取り除け
Yカントリーというゴルフ場の評判はよくない。というのは、会員が込みすき、サービスが悪いというのがその理由である。前の人がつかえているため、自分の打つタイミングになかなかならず、イライラする、と休日会員は特にぼやくのである。
にもかかわらず、Yカントリーの会員券はよく売れるし、経営会社はこの他に十数か所のカントリーを所有しているが、その運営状態は良好である。その理由は簡単だ。それは会員券が安いからである。安いものには、人はむらがり寄る。これは一つの真理である。 続きを読む 利を与えず、自分に利をもたらすことは出来ない
どのようなアイデアも、それにじっくり時間をかけ、目標をイメージ化し、細部にわたるまで明確化しなくては、現実に世の中には生じてこない。そして、そのアイデアはたんなる思いつきにすぎないものになってしまうのである。
願望のイメージ化は、多くの成功哲学書の説くところであり、それは今やことさら目あたらしい教説とはいえなくなった。しかし、この願望のイメージ化が、自分の人生の成功に直接関係あるものだったら、すなわち、ひらたくいうならば、おカネ、地位、身分、名声などを得たいという願望ならば、そのイメージ化に当っては、ぜひ次のことを考慮に入れて、それを行なわねばならない。 続きを読む アイデアは時間をかけて温め続けよ
炭焼きの安いリプステーキで評判のステーキ屋が六本木にあり、以前、よくそこへ私は人をつれて行ったものである。しかし、ある時を期として、私はぴたりと行くのを止めてしまった。その理由は新しく来たマネジャーの態度にあった。その店は安くて狭いので、いつも客が立てこんでいて、入口で並んで待っている客も少なくなかった。
それで、このマネジャーは、より多くの客をとりたいために、今テーブルに居る客に、何となく早く出て行けがしのそぶりをしたのである。まだ少し残っているアイスクリームの皿をさっさとさげたり、足音あらく床を鳴らして歩いたり、食器類をガシャガシャと音を立てて置き、従業員もそれにならっていた。 続きを読む 「礼儀とサービス」を活用するものに、ツキは訪れる
奇妙なことだが、ある人々は不安や怖れが好きなのである。ある女性は私にこう訴えた。
「私にはテレパシーの能力があって、それが恐ろしくてたまらないのです。なぜなら、私の悪い考えが、テレパシーで私の好きな人に伝ってしまって、その人が私を嫌いになってしまうのではないか、と思うのです」
私は彼女にいった。「では、その人のために、良いことだけ思ってあげれば良いのではありませんか?」
「はい、でも、私も人間だから、時には、ちらっとでも悪いことを考えてしまいますから。それに、私のテレパシーは、良いことは伝わらず、悪いことだけが伝わってしまうのです」 続きを読む 不安や恐れを好むな
「宝島」「ジキルとハイド」などで有名なロバート・スティーヴンスの言葉に、「幸福であろうとする義務ほど、われわれが過小評価している義務はない」がある。多くの人々は「幸福とは、心の持ち方の問題」という。
では、その心の持ち方は、具体的にいって、どのように持てばよいのか、というと、あまり明確に述べられる人は少ない。
せいぜい、「足りることをしること」「あまり欲をかかないこと」「毎日、感謝の生活をすること」という、仏教古来の諦観について述べるくらいである。 続きを読む 自分の心をコントロールすれば、その瞬間から幸福になれる
「おそらく大罪はたった一つ・・焦燥である。焦燥のために、われわれは楽園を追われた。そして今、焦燥のために、われわれは楽園に帰ることができない」実存主義文学の先駆者、フランツ・カフカの言葉である。「あせり」この言葉こそ、私たちの成功、いや全人生までを暗く色とる不幸の元兇のように思える。
「健康的な意欲」と「煩悩執着」との違いはどこにあるのだろうか?多くの人々は、これを「欲望の大きさ」のように錯覚しているが、これはとんでもない間違いである。「一億円貯めよう」と「一千万貯めよう」と目指す両者において、その目標が大きすきる前者の方が煩悩執着であって、後者の方が健康的な意欲であるという訳ではない。 続きを読む 「あせり」こそ不幸の元兇である
知識のみを重要視する人は大成できない。とかく、知識のあることを誇ったり、また他人の知識のみを尊重し、その知識に頼って自分の方針を決定しようとする人々には、適切な行動がともなわないものだ。
大切なことは、その知識にもとづいて起こされる行動である。この行動の意味は二つある。その一は自らの行動である。その二は他人を自分の望む方向への行動に駆りたてることだ。
そして、この二つの行動は、最終的には、その人自身による果断な決定によって起こされるものなのである。常に他人の知識に頼り、他人の意見に左右される者に成功の報酬がもたらされることは少ない。
なぜ、知識重視がまずく、行動重視が必要かというと、それは前者は人心を去らしめるからである。あなたに利益をもたらす人、すなわち協力者は、行動力を持つ人を好むものである。
そしてその行動力とは、断固としたその人自身の意志決定によるものである。自分で自分の意志決定のできない者は、常に他人の知識、他人の意見に頼り、それらで物事を決定しようとする。
ある時は専門家、ある時は友人、時には自分の妻にまで相談し、迷い抜いた末、やっと意志決定し、しかも自分自身の意見を依然として持てないのである。このような人を尊敬する人々は少ない。そして、その敬意のなさは、人心がこの人から去ることによって証明されるのである。
「恐怖心を人に与える」これの操作についてよく知っている者は、あらゆる組織のリーダーになれる。この場合の恐怖心とは、いわば劇薬であり、また時には毒薬ですらある。一般的かつ通常的にいうならば、この劇薬は用いるべきではない。
不用意に他人、特に自分の部下の心に恐怖心をかき立てるようなことは決してしてはならない。リーダーは、常日頃は陽気で明るく、人に希望や勇気を与えるよう振るまうべきである。それには、他人に対し、理解し、同情し、かつ公平無私な態度で接するよう努めることだ。 続きを読む 恐怖心を与えることも時には必要だ
「専横」とはどういうことであろうか?これは「もっぱら横において通ずる」という意味である。いいかえれば、縦に通ずることを故意に怠り、上部に計ることなく、自分の判断で横にのみ動くということである。
このようなタイプの人間は、組織の中に入れば、殆んどの場合失脚する。殆んどといったのは、天才的有能者ならば、そこから生ずる利益性のために、上部は我慢して目をつぶる場合もある、という意味である。しかし、多くの場合、このような天才はそういるものではない。そこで凡人は、自分自身の力を過信して、結果失脚してしまう。 続きを読む 専横はつつしむべきだ