江戸時代、厄年に関するダブルミーニングをつけたのは 田宮仲宣だけではありません。
随筆家、林自見の「雑説嚢話(ざっせつのうわ)」には「俗に女は33を厄とする。女は産を大厄とすれば、33の産の声を重ねるが故、厄年とする」と書いています。
また考証随筆として有名な「燕石雑志(えんせきざっし)」になるとダブルミーニングだけでなく、その上に陰陽を重ねるという説得力を加えています。
たとえば「42歳は4も2も陰数であり、読んで死となることから男性はもっとも恐れ、33は陽数が重なり、事の敗続するのを散々といい、さんざんと同訓であるから女性はもっとも恐れる」との記述が見られます。 続きを読む 厄年に説得力をつけた陰陽説