引き寄せの法則とは、願いを叶えるため、なりたい自分になるために行うものです。
なりたい自分を想像すれば、それに近づくことができます。
夢を叶えるための一助になるでしょう。
しかし、中には「こんな自分にはなりたくない」とか、「今を抜け出したい」というような願いをする人もいます。
確かに、それも切実な願いかもしれません。
今の自分が嫌なら変わりたいと思うでしょうし、現状に満足していなければ今を抜け出したいとも思います。 続きを読む 引き寄せない?引き寄せる?【引き寄せの法則】
引き寄せの法則とは、願いを叶えるため、なりたい自分になるために行うものです。
なりたい自分を想像すれば、それに近づくことができます。
夢を叶えるための一助になるでしょう。
しかし、中には「こんな自分にはなりたくない」とか、「今を抜け出したい」というような願いをする人もいます。
確かに、それも切実な願いかもしれません。
今の自分が嫌なら変わりたいと思うでしょうし、現状に満足していなければ今を抜け出したいとも思います。 続きを読む 引き寄せない?引き寄せる?【引き寄せの法則】
最近のスピリチュアルブームは留まるところを知らず、古今東西の占いや迷信が跳梁跋扈しています。
厄年もそのひとつ。
単なる日本の神事、という風習でしかなかった厄年がジワジワと浸透しており、その背景を探ってみると、どうやら日本男女の晩婚化が影響しているようです。
現在の一般的な本厄は、男性が42歳で女性が33歳。
この厄年を迎える前に結婚したい、という願望を持つ男女が多くいるというアンケート結果がアチコチで見られます。 続きを読む 結婚観の限界に厄年あり?
厄年とは災厄が多く振りかかる、とされる年齢のことです。
詳しい説明は後述するとして、男性は42歳、女性は33歳が本厄といわれ、とくに大きな災厄が起こる可能性が高い、とされています。
では、この災厄を避けるためにはどうすればいいのか、というと、神社仏閣で厄除け、厄祓いをすると効果がある、というのがこれまでの日本の風習です。
たとえば神奈川県の寒川神社。
厄年とは、日本人が長い間かかって経験的に知った生活の知恵です。 続きを読む 厄祓い厄除けはお近くの神社仏閣で
もっとも、神社仏閣の厄除け厄祓いに関しては厄年に限ったことではなく、生まれた時の、いや、生まれる前の安産祈願から死んだ後の先祖供養に至るまで、事あるごとにご祈祷項目があるので、厄年の重さは七五三とたいして変わらない、とも言えるでしょう。
この厄祓い厄除けで分かるように日本の伝統的な神社仏閣と関わりのある厄年は、歴史的にも古くから全国的な風習として定着しています。
なぜ厄年が生まれたか定かではありませんが、現代社会に当てはめると、男性の42歳は社会的責任が重いことに加えて長年の肉体的精神的疲労がピークに達することから身体的な不調や不注意による事故が起こりやすいこと。 続きを読む 厄年は人生で疲れが溜まりやすい時?
毎年災厄が降りかかっているという人がいれば、逆にこれまで大きな災厄なんて経験したことがない、という人もいるでしょう。
人生に対する努力とか災厄に対する精神力の違い、といえないこともありませんが。
しかし、全体的に見れば多くの人が災いもあれば幸せも適度に、ライフサイクルに同調するバイオリズムのように波を描いて訪れているというのが実情でしょう。
その意味では厄年が災いの訪れるピークと解釈すればまったく意味のないこと、とは言えません。
だからといって神社仏閣で厄祓い厄除けすれば避けられるというものでもありません。 続きを読む 災厄は幸福と同じ数だけ訪れる
世の中には予兆もなくいきなり災厄に襲われるレアケースがあります。
確かにその不条理は避けようもありませんが、偶然にもその災厄が厄年だったりすると、事後に必ず訳知り顔をする人がいます。
たとえば一般的にガンの発症は男性が50歳代前半から急激に発症率が高くなり、女性は40代後半から緩やかに伸びており、厄年とはまったく無関係ですが、厄年前後に発症すると比較的発症率が低いことからどうしても目立ってしまいます。
そんな時に限り、「厄年だったから」とか「厄祓いしないから」とか、根拠不明の発言を聞いたことがあるでしょう。 続きを読む 災厄は目立つからこそ隙間ができやすい
災厄はつい、厄年とか不条理のせいにしてしまえば精神的に救われるところがあります。
これも災厄に対する不安感の隙間に入り込む根拠なき救済材料ですね。
そう考える前に、まず不条理と思われる災厄に関して原因を考えてみましょう。
たとえば男性の場合、厄年になってから家の中で頻繁にケガをするようになった、というようなケースでも、長年暮らしている家の中が少しずつ煩雑になり、物が溢れて身体がぶつかることが多くなったことが原因になっている可能性があります。 続きを読む 厄年は自分のことを冷静に見直す機会
現代社会に厄年を当てはめると、いささか軽い風習になりますが歴史だけは長く、すでに平安時代には厄年に関する記述があります。
平安時代末期の古辞書「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」には厄年の歳が表記されており、すでに貴族の間では厄年が常識として広まっていたことが分かります。
平安時代に厄年が広まった、と考えると、やはり中国からの伝来なのでは?と思いつくのは至極最もなことですが、中国の厄年は自分の生まれた干支が厄年となるので12年に1回、つまり日本の厄年とは異なっているので厄年は日本独自の風習であることが推察できますね。
そこで厄年の起源として有力視されているのが陰陽道です。 続きを読む 日本の厄年は陰陽道が発端
陰陽道は平安時代、いわば貴族以上が使っていた占いなので庶民にはほとんど関係ありません。
その厄年は陰陽道から始まったという説の有力候補は日本のいろは引きで最古の辞書と言われる「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に記述があるからですが・・
確かに漢字は厄と書かれているものの、男女における厄年の違いはなく、13、25、37、49、61…と12歳刻みで厄年が訪れるため、中国の生まれた干支が厄年というパターンと似通っています。
鎌倉時代でも厄年は平安時代を引き継いでおり、現在の厄年になるのは江戸時代になってからのこと。 続きを読む 色葉字類抄に記されていた厄年は役年?
前投稿では厄年の初出は平安時代の古辞書「 色葉字類抄(いろはじるいしょう)」ではあるけれど、現代に通じる厄年ではなく、社会的に重要な役目となる歳、役年ではないか、という説を記しました。
しかし江戸時代に入ると、それまでのあらゆる文化が庶民レベルで理解できるように変化しており、厄年に関してもその例外ではありません。
まず江戸時代で厄年が最初に出てくる著述は「和漢三才図会(わかんさんさいずかい)」です。
カンタンに言うと江戸時代の百科事典で、当時の中国、明(ミン)の類書「三才図会」を手本にして作られました。 続きを読む 江戸時代は和漢三才図会に登場
和漢三才図会に出てくる厄年は以下のように記述されています。
「厄~ 按素問陰陽二十五人篇云 件歳皆人之大忌 不可不自安也 考之初七歳以後皆加九年」
カンタンに言えば、陰陽では25歳がすべての人の大忌に当たり、誰もが注意しなさい、厄年は7歳に始まり、以後は9年を足していく、というような意味ですね。
この解説は明の三才図会が元になっており、上記の部分もそこから引用しているものです。中国では厄年を自分の干支から数えますが、明の時代の百科事典では陰陽発想から生まれていることが興味深いところです。 続きを読む 江戸時代に明記された厄年が現代まで継承されている
和漢三才図会は正德2年(1712)に刊行されていますが、それより遡ること約15年の元禄10年(1697年)頃、尾張藩士で国学者の天野信景(あまのさだかげ)は全千巻にも及ぶ随筆集「塩尻」で厄年に触れており、14巻には「42は四二になり、死に通ず、我が国では男42、女33、異邦7歳、16歳、34歳…」と著述しています。
直接に厄年、とは書いていませんが、ここで異邦7歳、と書いていることにより、和漢三才図会における厄年の7歳と合致するので厄年であることが伺えます。
ちなみに異邦とは中国のことですね。
ここで注目したいのは42歳がしに、と読めることから縁起が悪い、と言っていること。 続きを読む 男は42(しに)女は33(さんざん)の厄年